<なぜ「芸人」は「タレント」めざすのか>タレントとは他に呼びようがないのにテレビに出ている人のこと?


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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筆者は中学生の時に驚いたことがある。

英語の先生に「タレント(talent)」というのは「才能」という意味だと聞いたからだ。アイドル(id0l)が偶像だと知ったときよりも驚いた。・・・と、すると、テレビに出ている人は皆、才能のある人なんだと、理解したものだ。

もちろん、テレビに出ている人は全部がタレントと呼ばれる職業の人ではないことは最近は知っている。俳優、女優(この言葉を僕はすごく好きだが、男女差別をしないよう皆、俳優と呼べと言う人もいるが、それは余計なお世話だ)、歌手、芸人、コメディアン、落語家、漫才師、講釈師、手品師、腹話術師、声帯形態模写、大学教授、司会者、キャスター、アナウンサー、スポーツ選手、華道家、料理人、女装家、ジャーナリスト。

でも、やっぱり「この人はタレント」と呼ぶのがふさわしい、と言う人もいる。いろんな、テレビにでているひとの顔を思い浮かべてみる。

美輪明宏、女装した霊能者だと思っている人もいるかも知れないが、NHK紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を歌い上げた姿を見て、この人がれっきとしたシャンソン歌手であることを、思い知った人もいるだろう。

1985年にアメリカで発表された、「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」は、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、ダイアナ・ロス、レイ・チャールズ、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル・・・等々といった世界的な歌手たちが「USAフォー・アフリカ」として、無償で歌ったが、これをとりまとめ、歌手たちの尊敬を集めていたのは「バナナ・ボート」のハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)であった。美輪さんは、日本ならこのハリー・ベラフォンテに比する大歌手だ。

和田アキ子。タレント化しているが、歌手である。歌うときだけは緊張する。

北斗晶・佐々木健介、元プロレスラーと現役プロレスラーだが、筆者には「職業・夫婦」に見える。「職業・夫婦」というのはないから、タレントである。

他にも実在しない職業に就いている人はテレビにいっぱい出ている。「職業・子育てママ」「職業・スキャンダル提供者」「職業・大家族」「職業・高学歴者」「職業・金持ち」「職業・泣く人」これらを担当する人はひとくくりでタレントでいいだろう。ああ、それから「職業・こども」を忘れていた。

黒柳徹子。いまの職業は座談家である。この人は、別に人の話を引き出したりするのは上手ではないが、座談の前に、ゲストの事前調査書を読み込むことにかけては、日本一熱心な座談家である。

最近はテレビではあんまり見ない糸井重里。マルチ・タレントなどと言われた。コピーライターは辞めたと言っていたので、今は、手帳屋さんである。「ほぼ日手帳」を販売する手帳屋さんなのだから、あまりテレビに出ないのは当たり前だ。

それに加え「芸人」というくくりで呼ばれる一群がいる。これらの人は、悲しいことに、芸人であり続けようとすればするほど、賞味期限が短くなる。

それが分かっているからだろうか、彼らはあまり芸人であり続けようとしない。ある人は役者を目指す。この見切りをつけるのは40歳がリミットだというのは、優れたエンターテインメント鑑賞家である、小説家の小林信彦さんの説だ。

また、ある人たちは、コントや漫才を考えるのを止めて、本稿のテーマである「タレント」を目指す。これは、はっきり言うと、コントや漫才を考えて演じるより、タレントの方が楽で、金が稼げるからだ。

こんなエピソードを聞いた。フジテレビの「ENGEIグランドスラム」の出演依頼を受けたナインティナインの矢部浩之は「ネタはやらなくていいよね」と確かめたそうである。これは、矢部浩之の「芸人辞めてタレント化宣言」である。司会者を目指す芸人もいるが、「次はこのコーナーです」とか、そういう進行台詞を言うことは、最低なかっこ悪さだとは思わないのだろうか。

ここまで考えて分かったことは、タレントというのは、他に呼びようがないのにテレビに出ている人のことを呼ぶのだ、と言うことだ。で、放送作家である筆者は、この「タレントと呼ばれている人たち」の中には全く好きな人がいないとも、気づいた。

テレビタレントと言う言葉があるが、もし、テレビが生活するだけのお金を稼ぐ場でなくなったら、この人たちはタレントでさえなくなるのだろうか。流行作家が、流行の2文字が取れたとたん、作家でさえなくなるように。

例えが古いか。ナンシー関さんのパクリのような締め方になってしまったのである。

 

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