[茂木健一郎]<排ガス規制と学力テストの本質>検査時にだけ数値のつじつま合わせることの無意味さ


茂木健一郎[脳科学者]

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ドイツの大手自動車メーカーが、排ガス規制を逃れるために、検査時だけ排出物質を調整するソフトウェアを搭載していた。

どうやって「検査時」だということを認識するのかはわからないが(検査時だと、ボタンを押したりするのだろうか)、実質的には排ガス規制に適合していないことは明白である。

このようなニュースに接すると、数値化のもたらす歪みのことを考える。

当局が、ある数値を示す。すると、その数値に形式的に適応しようと、システム側が「進化」する。その「進化」の一つのあり方が、検査時にだけ数値のつじつま合わせをするという動作で、その部分最適だけみれば理にかなっている。

もし、数値のつじつま合わせをすることが目的ならば、ドイツメーカーのソフトは最適化されている。

しかし、もちろん、排ガス規制の目的は、検査時だけでなく、通常の走行時に有害物質を出さないことで、そのような全体最適の視点から見れば、このようなソフトは失格だということになる。

似たようなことは、学力テストでもしばしば起こる。

統一の学力テストが導入されて、そのことによって学校や地域が比較されるようになると、教師側は、学力テストの点数をあげようとさまざまな「適応」を図る。問題自体を教えるのは言語道断だが、授業を、点数が上がるように変えてしまう。

学力テストの点数を上げる、というのは一つの「部分最適化」だろう。しかし、学びの本来の目的は別のところにあるはずだ。

学校を出た後も一生、学力テストの数値を上げることだけが目標の人生なんてあり得ない。結局、数値化された目標は、よほど全体最適への視点がないと歪みをもたらす。

数値目標が無理な場合には、歪みがはなはだしくなる。優秀なドイツメーカーが不正ソフトをつくらざるを得なかったということは、現在の技術水準から言えば、排ガス規制に「無理」があったということだろう。

そもそも、規制の数値を制定する政策プロセス自体に、問題があった疑いが強い。もちろん、数値目標を設定すること自体は、努力の動機付けになり得る。問題は、それが暴走したり、一人歩きしたりすることだろう。

今回の問題は、排ガス規制から学力テストまで、数値目標を立てる際の課題を示している。数字自体をクリアすることに意味があるのではない。本質を見失ってはいけない。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。