<新聞は生き残れる?>新聞は速報性を捨てなければ絶滅する


高橋維新[弁護士]

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筆者は、新聞をとっていない。なぜかといえば、筆者がケチだからであるが、これをもっと高尚に言い直すと、「新聞にお金をかけなくても事足りる」からである。

「新聞」という言葉を使った場合に多くの人がまず思い浮かべるのが、いわゆる全国紙であろう。東京に本社があり、日本全国に「支社」などと呼ばれる取材・編集の拠点があって、発行部数が多く、メディアとしての権威を今なお一定程度保ってる・・・というのがパッと挙げられる特徴である。

日本では読売・朝日・毎日・日経・産経の5紙が全国紙であり、五大紙と呼ばれているらしい。

新聞は、newspaperという英称からも分かる通り、大本は報道機関であって、ニュースを伝える媒体である。そのため、いの一番に重視されているのは、何よりもまず速報性である。特に全国紙においては、この姿勢は現在も変わっていない。

自社が、記者による取材を通して得た情報のうち、報道に値するものを、どこのメディアよりも早く伝える。二番手以降に甘んじるのは敗北である。これが、速報の意味である。

しかし、考えればすぐに分かることであるが、新聞というものは基本的に朝夕の1日2回しか発行されない。24時間、ウェブサイトを更新しようと思えばいつでもできるインターネット、臨時ニュースを組もうと思えばいつでもできるテレビと比べれば、速報性の点では遙かに負けているのである。

新聞にも、号外という対抗手段はある。しかし号外は基本的に街頭でばら撒くなどの配布方法しかなく、茶の間に直接情報をぶち込めるテレビやインターネットと比較すれば伝播性の点で勝負にならない。号外を(タダで)ウェブ配信すればいいのだろうが、それはもう新聞ではなくてインターネットニュースだろう。

結果、メディアにおける新聞のプライオリティはどんどん低下している。新聞に軽減税率を導入してもらおうとしているという利益集団的な動きも、悪あがきのようでどこか痛々しい。

では、今後新聞が生き残るにはどうするか。

今の新聞が抱えている問題は単純である。今まで述べてきた通り、速報性を第一次的な命題としていることである。その結果、記事にするまでに時間がかかるニュースの解説・分析などは二の次にされ、その手の記事には基本的に浅薄な内容しかない。そのくせ肝腎の速報性では、テレビやインターネットに勝てない。

となれば、道は二つである。速報性を磨くか、速報性を捨てるかである。

まず前者について述べる。

新聞が速報性の点で勝てるのは、テレビやインターネットが気付いてないニュースに独自に取材を進めて、完全に彼らを出し抜いたときだけである。いわゆる、すっぱ抜きである。

ただこれは狙ってできるものではないので、これだけに頼っていれば投機的な経営を強いられることになってしまう。

とはいえ見方を変えれば、こういったすっぱ抜きができるのは、新聞という機関が今まで培ってきた取材組織(=記者集団)があるから、そしてその取材組織が他の媒体と激しい競争をしているからである。これは、インターネットにはない武器である。

現在の、インターネットのみを媒体としているニュースは、まだまだ新聞やテレビほどの強固な取材組織を持っておらず、速報性があるとはいっても、どうしても二次的である。新聞やテレビが伝えたことを伝えるというような「後追い」の役割に甘んじているのである。

しかし、肝腎の発表媒体が新聞では、この強力な取材組織も、この取材組織が収集した良質な情報も、活かしきれないだろう。取材先への内偵を進めて分かった内容が発表できるのが明日の朝刊になるというのは、いかにももどかしい。

ならば媒体については、インターネットの速報性を拝借すればよい。発表の局面では、新聞という紙ではなくインターネットに道を譲っていくべきである。分かりやすく言ってしまえば、今の新聞がやっている電子版やウェブ配信のニュースをもっと強化していくということになるだろう。

最終的に紙の新聞はなくなっても構わない。つまり、強固な取材組織を抱えたまま新聞社からインターネットニュースの会社に生まれ変わるのである。

新聞が自ら抱える取材力にインターネットの速報性をも得れば、それはもう虎に翼が生えたようなものであって、無敵である。

ここまでくれば、新聞という紙媒体におさらばできるかどうかは、内部にいる人のプライドや感傷というどうでもいい部分の問題でしかない。「○○新聞」という名称が右上の隅に記された「一面」の画がなお持つ権威を、下らないと思えるかどうかである。

もう一つの道が、速報性を捨てるという道である。

紙の新聞を残したいのであれば、勝負にならない速報性は捨て去って、他のところで独自性を打ち出していくしかない。先ほど述べたように、速報性を重視していてはできないレベルの分析や解説を加えるというのは一つの道である。

全国紙やテレビが伝えないようなニッチな話題に注力するというのも一つの方法である。ニッチな話題は何でもいい。芸能やスポーツのニュースでもいい。地方に独自の話題でもいい。とある業界固有のニュースでもいい。

こういった細分化された需要を拾う新聞はもうある。芸能やスポーツのニュースについてはスポーツ紙、地方のニュースについては地方紙、様々な業界固有のニュースについては業界紙と呼ばれるものがそれぞれ存在している。これらは、需要さえあれば、まだまだ未来が見えている。

もう一つ考えられるのは、特定の政党や宗教の機関紙のように、一定の政治的・宗教的な立場に立って、その思想信条や信仰を持つ人を対象にした新聞である。自分と同じ考え方に基づいた記事ばかりが並んでいれば、それを読むのは一つの快感であろうから、こちらも、需要があることがはっきり見える。

新聞が、紙の新聞として生き残るには、こういったニッチな部分にひっそりと根を張るしかない。それだと満足できず、報道機関としての全国的な権威を維持しようとするのであれば、インターネットが持つ速報性を武器にしていくしかない。

両奪りは、できない。それこそ二兎を追うものは一兎をも得ずである。

最悪なのは、下らないプライドにしがみついたまま今の状態を続けることである。それは、ここで言う「二兎を追う」状態であって、新聞の絶滅を意味する。

それも勝手なのではあるが、その道を進むなら今までに育てた取材組織だけは、絶滅の前にどこかに明け渡してほしいものである。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。