<アイドルの人権>「ファンとの恋愛禁止」の規約に裁判所が「ノー」


高橋維新[弁護士]

***

2015年1月18日に東京地裁で一つの判決が言い渡されました。東京のとあるマネジメント会社が、かつて同社にアイドルとして所属していた女性を訴えた裁判です。

報道によれば、同社には同社所属のアイドルがファンと交際することを禁じる規約があり、女性がこの規約に違反したせいで損害を被ったため、訴訟を提起したとのことです。

東京地裁の結論は、「請求棄却」でした。すなわち原告である会社側の全面敗訴です。その理屈として、

「異性との交際は、幸福を追求する自由の一つであって、禁止は行き過ぎである」

と述べた、ということです。

判決では、異性との交際を「幸福を追求する自由」と認めたということです。筆者のように法律をかじった人間がこの言葉使いを聞いたときにまず思い浮かべるのが、日本国憲法の13条です。

<日本国憲法・第十三条>すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法は、この条文以下に様々な人権を個別的に定めています。代表的なところだと、選挙権(15条)・思想及び良心の自由(19条)・信教の自由(20条)・表現の自由(21条)などです。

ただ、このように憲法の個別の条文で列挙されていない人権でも、前記の13条が包括的に保障しているということを大学の憲法の講義では習います。個別の条文に明確には書いていない人権の受け皿が13条であって、この包括的な人権のことを「幸福追求権」と言う・・・というのが一般的な説明です。

今回の東京地裁判決がアイドルに認めた人権は、名前を付ければ「恋愛の自由」とか「異性との交際の自由」みたいな名前になるでしょう。ただこのような名前の人権は、憲法には明確には書いてありません。だから、東京地裁は幸福追求権の一つという扱いでこの権利の人権性を認めたのだと推察されます。

さて、このように人間は人権を持っています。

恋愛の自由が、全ての人間が持つ権利だというのは恐らく異論がないと思います。これを、謂れなく禁止・制限することはできないでしょう。もっとも、それは裏を返せば「謂れ(いわれ)」がある場合は禁止・制限してもいいのではないかということです。ここで、議論は次の段階に入っていきます。

「謂れ」には色々な種類があります。通常どんな人権でも問題になるのは、人様に迷惑をかける場合です。いくら恋愛の自由があるからと言っても、公共の場で性行為に及ぶような権利まではないはずです。

これは、第三者の「そういうものを見ない自由」と「恋愛の自由」との相克が生じている局面であって、人権どうしの調整が必要になっている状態です。

今回は、この「恋愛の自由」がアイドルと所属事務所との「契約」によって禁じられていたわけです。次の問題は、契約、もっと言うとアイドル本人が恋愛の自由が制限されることに同意したことによって人権が制限されるかというところになってきますが、これも基本的には「制限される」という結論に異論はないでしょう。

人は財産を所持する自由も持っています。謂れなき限り、自分の財産は奪われません。でも、例えば自分の不動産をある人に売る「契約」を結んだら、その不動産を手放す義務が生じます。これは、(代金を受け取る代わりに)不動産を手放すことに同意して、自らその不動産を所持する自由を放棄したからです。

逆に、すでに契約を結んでいる状態なのに、「財産を所持する自由」をたてに「お前に俺の不動産はやらん」などと言い出すことを認めたら、市場がシッチャカメッチャカになってしまいます。成熟した経済はできないでしょう。

さて、この判決については、「アイドルが恋愛の自由が制限されることに同意したのだから、自らそういう契約書に判をついたのだから、恋愛してもいいなどというのはおかしい」という感想を耳にします。

確かに、事務所側としてはアイドルの清廉性を維持することで「商品」としての価値を保持する思惑があると思われます(この点は判決も認めています)。いったんアイドルが約束したことを反故にされたら、事務所としても経営が立ち行かなくなるでしょう。

ただ、この問題はここだけでは終わりません。もう一つ、「いくら本人が同意したからといっても、さすがにその人権までは制限できないのではないか」ということを考える必要があります。

安楽死には似たような問題があります。生きる権利、というのも人権の一つでしょうが、いくら本人がその「生きる権利」の放棄に同意していても、それを奪うことは正当化されないのではないか、ということです。

日本の法律は基本的にはこの考え方に立っており、本人の同意があっても、人の命を奪えば自殺関与罪又は同意殺人罪として罪に問われます。

では、今回の「恋愛の自由」はどうでしょうか。

これは、ケースバイケースとしか言いようがありません。人権の種類によっても違うでしょうし、何がどの程度制限されているかによっても違うでしょう。

報道では、アイドルと事務所との契約の内容を「ファンとの交際を禁じる」としか書かれていません。でも、その具体的な内容が問題になるのです。

書き方は、千差万別でしょう。ただ単に、「ファンとの交際はしてはならない」と書かれているだけかもしれません。「交際」の具体的内容が列挙されているかもしれません。

性行為・キス・デートなどは普通は「交際」に当たるでしょうが、例えば「仕事以外での会話や、メールやSNS上でのやりとり」まで禁止しているかもしれません。

「違反した場合にどうなるか」も書かれている場合と書かれていない場合が考えられます。例えば、少しでも違反したら一律1000万円の違約金の支払義務が生じるということが書かれているかもしれません。

「仕事以外の場で、親族を除く異性と少しでも会話したら1000万円の違約金の支払義務が生じる」という契約が、いくらアイドルの側が同意したからといって、完全に有効だという結論でいいでしょうか。

なので、これ以上は契約の具体的内容に踏み込まないとこの判決の結論の妥当性については何とも申し上げられません。すなわち、判決書を読まないとはっきりしたことが言えません。

裁判所が被告となったアイドルの側を助けるとしたら、今回の理屈付け以外にも、例えば「契約段階で内容をよくわかってなかったからそもそも契約は成立していない」だとか、「賠償義務を、0とは言わずとも一定の合理的な範囲に制限する」という方法もあると思います。

こちらの方が「異性との交際は幸福追求権」という言い方で一刀両断するより穏当だと思いますが、判決がこのような理屈を用いていないからには、何らかの事情があるのだとは思います。

賠償を一切認めなかったからには、そもそも裁判所が異性との交際を禁じる条項それ自体にさほどの合理性を見出していなかった可能性があるとは思いますが、他方上記で挙げた例のように、契約の有効性をそのまま認めると賠償金額が高くなりすぎるから、アイドルを救済するために「幸福追求権」云々の理屈を持ち出した可能性もあります。それは何度も言っている通り、判決を読まないと分かりません。

このように、法律問題は様々な要素を考慮する必要があって、けっして報道機関の見出しに仕えるような短くてセンセーショナルな部分だけで結論が出ているわけではないのです。

「マタハラは違法との判断」という見出しで報道がされても、あくまで裁判になっているその事例で具体的に為されたハラスメントが違法だとされただけです。一口にマタハラと言っても、「産休を取りたいと相談しただけの社員を解雇した」というような重い事例から、「上司がお腹の大きくなってきた女性社員に『予定日はいつだい?』とニヤニヤしながら聞いた」というような軽めの事例まで、千差万別です。

判決が扱かった事案がどのような事案だったのかは判決を精読しないと分かりません。それは、「マタハラは違法」などという短くて分かりやすいスローガンだけで判断が出るようなものではないのです。

だからこそこの業界の物の考え方がやたらと複雑になって一般の方に理解してもらいにくい部分があるのは、法曹として常に意識しなければならないとは思っていますが、報道機関は常に短くて分かりやすいキャッチーな標語を使いたがる傾向があります。

視聴者に情報をすんなりと分かってもらうために、現実の事例の細部をある程度無視・軽視して要約する傾向があります。読者には、報道機関のそのような「悪癖」をも意識したうえで、あまり振り回されないようにしていただきたいというのが筆者の望むところであります。

 

【あわせて読みたい】

The following two tabs change content below.
高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。