<高市大臣の「停波」発言問題>「公平な放送」とはどんな放送を意味するのか?


榛葉健[ テレビプロデューサー/ドキュメンタリー映画監督]

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「公平」な放送について、放送の許認可権を持つ高市早苗総務大臣が、放送局の「停波」の可能性について繰り返し言及しています。発言を要約するとこうです。

「ある放送局が、政治的公平を欠いたり、公序良俗や事実に反する放送を繰り返したと『判断』した場合、停波させる可能性は否定できない」

法律(電波法)に罰則規定がある以上、「停波は否定できない」という論旨です。では、根拠となる「政治的公平かどうか」は、誰が、何を根拠に判断するのでしょうか?

以下、例え話を引き合いに「公平」について考察します。あくまで例え話ですので、根拠となる数値などは事実ではありません。

例えば、憲法学者の90%が「違憲である」と考える法案があるとします。それを放送する時に、どんな放送が「公平」だと言えるでしょうか?

専門家の90%が違憲と考えているのだから、放送全体の90%を違憲論者の主張に充てるべき」という人もいれば、「国論を二分する意見なんだから、50%ずつの構成にすべき」という人もいます。

「公平」とは、難しいものです。

例えば、番組で街頭インタビューを放送しようと「街の声」を集めたところ、その政策に賛成する人の声が10%しか撮れず、あとの90%は批判的な声だったとします。その時、スタジオにその政策を進める政治家が来ていたら、「街の声」の多くが批判的な内容なことに腹を立てるでしょう。

「これ全然、世論を反映していない。おかしいじゃないですか!」

ならばと放送局が賛否両論を50%ずつで構成したら、今度は視聴者から「賛成する人が実態より多い」と違和感を持たれて、「これ全然、世論を反映していない。おかしいじゃないですか!」と怒られそうです。

やはり「公平」とは、難しいものです。特に世間の批評を受ける政治家にとっては。

例えば、国民の多くが飢えや経済的困窮に瀕しているのに、極端に軍事力に重きを置く国がどこかにあって、その国の放送局が、長距離ミサイルに転用できるロケットの打ち上げや核開発に成功したことを誇示・礼賛する番組ばかりを放送したとします。

その国の政権は「こういう番組こそ公平」だと思うでしょうが、飢えや貧困に苦しみ「そんな金があるなら、民衆の食費に回してくれ」と言いたくても言えずにいる民衆は、「公平」と思うはずがありません。その放送を見ている海外の人たちは、異様なまでの礼賛ぶりに「何と偏向した放送だろう」と思うでしょう。

「公平」とは、ひとつの尺度では計れません。見る人によって違いが生じやすい、デリケートで多様な概念です。

そのため戦後の日本の放送事業者は、政府、政党、宗教、団体などさまざまな存在から独立して、自らの責任と判断で「公平」さを希求し、さまざまなバランスを鑑みながら放送しています。

それを前提に考えましょう。どこかの政権政党が、番組内容を『公平』にするよう求めてきて、更に、「自分達には『停波』させる権限がある。その可能性は否定できない」と言って来たら、番組内容はどうなるでしょうか?

「停波」というのは、放送局にとっては「息の根を止められる」のと同じですから、それを回避するには、政権の機嫌を損なわないようにしようという空気がじわじわ広がると考えるのが自然です。

例え話で書いた、専門家の90%が違憲だと考える法案を論じるような場合でも、番組上は「合憲論50%+違憲論50%」という『政権には公平と見える』ような構成に近づくのではないでしょうか。

更には、政権にとって耳触りのいい内容なら多少公平性を欠いても政権側はとやかく言いませんから、『太鼓持ち』をしたがる放送局や解説委員などがもしいれば、世論とは正反対に「合憲論」に重きを置いた放送をしても、政権から「不公平だ」と指弾されることはありません。

つまり政権が「停波」の権限があると表明するだけでも、放送全体が、政権にとって都合のいい内容に「偏っていく」リスクが高まりこそすれ、減ることはありません。

もちろん、多くの放送記者やジャーナリストたちは、特定の政権や政党などに絡め捕られないように、自力で「公平さ」と「言論の自由」を保つ努力をしていますが、許認可権者から圧力がかかれば、組織として「忖度」が生まれるリスクが高まることは否定できません。

日本は戦後70年あまり、民主的な社会の基軸である「言論の自由」をずっと大切にしてきました。その普遍的な価値の一翼を担う放送について、特定の政権の判断で「停波」が出来るような社会にして良いのでしょうか?

実際に政府に報道内容をコントロールされている、中国中央電視台や朝鮮中央テレビの「国家礼賛」一辺倒の報道を、私たちは、信用を持って見られるでしょうか?

高市総務大臣は、電波法に規定されていることについて、

「将来の総務大臣も含めて、(停波の権限を)『未来永劫使いません』と断言する権利など、私には無い」

と言っています。

この説明は正論にも見えます。しかし、昨年にはNHKが「出家詐欺」報道の誤りについて、BPOなどと共に検証、訂正をしているのに、高市総務相自身がNHKに行政指導をしたり、同じ自民党内には、「マスコミを懲らしめるにはどうすれば良いか?」とか「スポンサーに降りさせればいい」という議員がいたり、滋賀県の次年度予算案をNHKがスクープしたことをとがめて、「議会に呼び出そう」と息巻く県議がいたりします。

このところ相次ぐ政治家の言動をつなげて考えると、今回の、停波の可能性を否定しない高市総務相の姿勢は、「言論の自由がある民主的な社会」を「権力者が都合よく情報をコントロールする社会」に近づけようとする、動きの一環に見えて来るのです。

実は他の政党にも、情報や言論を統制したがる政治家はいます。そうした存在から、放送や言論が束縛を受けないこと。それが、自由で民主的な社会です。

 

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榛葉 健

榛葉健(しば・たけし) テレビプロデューサー、ドキュメンタリー映画監督 1963年東京生まれ。1987年、在阪民放局入社。さまざまなジャンルで幅広くドキュメンタリーを制作し、日本テレビ技術協会賞、坂田記念ジャーナリズム賞などを受賞。世界最高峰チョモランマの取材では、登山家たちが放置する大量のゴミを世界のテレビで初めて告発。1995年以降、阪神・淡路大震災関連のドキュメンタリー14本を制作。そのうち『with…若き女性美術作家の生涯』は、「日本賞・ユニセフ賞」「アジアテレビ賞」など数々の国際賞を受賞。東日本大震災の発生後は、私費で宮城県南三陸町や気仙沼市などに通い続け、映画「うたごころ」シリーズを制作。全国の劇場をはじめ各地で上映の輪が広がっている。