<ワイドショーはなぜ「しつこい」のか>「金と女と事件と他人の不幸と強欲」は視聴率がとれる?

社会・メディア

高橋秀樹[日本放送作家協会・常務理事]
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「しつこい」というのは、基本的にはマイナスの評価である。
「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」とLINEを送って「しつこい」と返ってくれば拒否である。無視されれば、強い拒否である。許諾する場合は損得を考えての上であろう。
もちろん、プラスの評価のこともある。「しつこいバッティング」「彼女はみんなに否定されたが、信念を持ち続けるそのしつこさがSTAP細胞の発見につながった」などの利用だ。
さて、「しつこい」といえば、ワイドショーだろう。もちろん、これも概ねマイナスの評価で使用されているように思う。
ワイドショーはなぜ「しつこい」のか。
もう分かった、もう見たくない・・・と思われる事件や出来事について、テレビのワイドショーはとにかく「しつこく」放送を続ける。最近でも「センテンス・スプリング」タレントの不倫。ゲスと揶揄される人物の不倫などがそうだ。
理由は簡単である。
「このネタにはまだまだ視聴者の関心がある、視聴率が取れる、しゃぶりつくすまでやれ」と、エラい人が号令を掛けるからである。実際に視聴率が取れた経験を持っているものだから止められなくなる。
他のネタに変えても視聴率は取れるかもしれないが、生放送なので対象ネタとして他のネタを実験することはできないから確かめられない。
こういう「しゃぶりつくし系」のネタが多いからワイドショーは「しつこい」と感じるられるのだろう。
「週刊新潮」が創刊されたころ、その編集方針を聞かれた新潮社の「天皇」こと斎藤十一氏は、「金と女と事件」と答えた。そして圧倒的な発行部数を実現した。
「金と女と事件」というその俗物主義を徹底させ、さらに「他人の不幸と強欲」も付け加えた編集方針を持っているのが現代のテレビワイドショーである。
しかし、筆者は「金と女と事件と他人の不幸と強欲」を、編集方針とすることを悪いとは思わない。「金と女と事件と他人の不幸と強欲」はテレビという媒体の、ある一方向から見たときの本質であると思うからである。それが、視聴者と制作者とで構成されるテレビという媒体の本質だと思うからである。
ただし「しつこい」ということだけはなんとかしたほうがよい。
テレビ制作者は「しつこさ」がテレビ離れを招くことの実例も知っている。一日中番組宣伝に出でている芸能人、作家。何でもかんでも「真田丸」にこと寄せて、作られる番宣がらみの番組。
この「しつこさ」を一番先に感じるのは、実は制作者だったりする。制作者たちは「まだまだこのネタは求められているはずだ」と自分に言い聞かせて「しつこく」やっていることが多い。
その「しつこさ」に別れを告げられるのは、当事者である制作者だけだ。当然、視聴者には出来ない。制作者はストーカーになってしまうまで「しつこいワイドショー」やってはなるまい。
もしかすると、ワイドショーの最大の特徴である「しつこさ」を捨てられた時にこそ、テレビ離れと言われる現代において、ワイドショーは新しい地平が開くことができるのかもしれない。
 
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