<JR鉄道事故訴訟で最高裁が初判断>認知症徘徊による事故でも家族の監督責任はナシ

社会・メディア

山口道宏[ジャーナリスト]
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平成28年3月1日、最高裁第三小法廷で注目の裁判の結審があった。認知症の91歳の男性が徘徊中に列車にはねられ死亡した事故に対して、JR東海が約720万円の損害賠償を求め、監督責任として遺族を提訴していた訴訟だ。
1審、2審ともに遺族へ賠償を命じていた。しかし、3月1日に下された最高裁判決の結果は「JRの逆転敗訴確定」であった。
判決の要旨は、

  1. 配偶者や長男だからといって無条件に監督義務者とはならない。
  2. 監督義務者にあたるかどうかは、同居しているか財産管理への関与など様々な事情を考慮して判断すべきである。
  3. 事故当時85歳で要介護の妻と20年以上別居していた長男は、監督義務者にあたらず賠償責任は負わないというもの。争点は「誰が監督義務者か」(民法714条、同752条)であった。

本判決は画期的ではあったが、残された課題がないわけではない。
「24時間の見守りが必要な場合にどんな体制が可能か」「徘徊やそれに伴う事故への対策を社会全体で講じるべき内容とは」については語られていないからだ。
そしてそのことは、判決にはない「〜だから、これからは賠償を民間保険で」という一部の識者コメントになって伝えられた。介護家族であれば自動車、火災、障害保険と同様、「特約」(保険)に加入するのが備えである、と。
結局は在宅で介護を担う家族に新たな「安心料」の負担を求めようというのだ。
これでは献身的に介護をする人をさらに追いつめることにならないか。介護にかかわること自体を敬遠する人が現れないか。果たしてほくそ笑むのは誰なのか?
ことの本質はJRと当該家族の個別の問題ではない。
そもそも在宅介護中心の施策は国家的な課題に他ならない。遺族を支援してきた高見国生「認知症の人と家族の会」代表は、裁判結果を喜ぶ一方で、今後も家族が賠償を求められる可能性があるとして「賠償金を全額公費で救済できるような制度を作ってほしいと訴えた。」(2016年3月2日東京新聞)
「なぜ在宅介護なのか」「なぜ介護家族の負担が重いのか」である。
 
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