天才棋士・羽生善治と天才プログラマー・ハサビスの対話[茂木健一郎]

デジタル・IT

茂木健一郎[脳科学者]
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5月15日放送のNHKスペシャル『天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る』はとてもおもしろかった。さまざまな場面がある中で、白眉は、羽生善治さんが、ディープマインド社の(AI開発者の)ハサビス氏と英語で話し、チェスをするシーンだったように思う。
なぜ、羽生さんとハサビスがチェスをするシーンが面白かったのかと言えば、そこに、二人の「人間」が向き合っている、生々しい構図があったからである。つまり、そこには、二つの生命があった。
池上高志(東京大学教授)とも時々話すテーマだけど、artificial life >> artificial intelligence なのである。生命と知性を比較すれば、明らかに前者の方が広いし、深い。人間の場合は、知性が、生きることの必然の果実として生まれてきている。
生命の進化を記述するダーウィンの体系は、その含意が深くて、利他性や、包括適応度、生態系、ニッチなど様々な展開があるが、そのような成熟は人工知能の世界ではまだ見られない。人工知能は、計算という単一文脈の中での最適化だからだ。
【参考】<人工知能の時代には人格が大事>Nスペ「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」[茂木健一郎]
人工知能の最も興味深い問題は、それが、先を見ずにはいられないという人間の生命の業のようなものの果実だということだろう。チューリング機械を考え、トランジスタを発明し、人工知能を開発せずにはいられない人間という生命のあり方がきわめて面白い。
アルファ碁とイ・セドルの対決に見られるように、自分たちのベスト・アンド・ブライテストを破る人工知能をつくることに情熱を傾ける人間は、「知性」ということを超えたsapere aude (dare to know)の暗い衝動にかられているように見える。
以上のようなことがあるから、ハサビスと羽生さんが向き合ったときに、ああ、二人は生きているんだなあ、という感覚をもったことが、昨日の番組の一つのクライマックスだったのだと思う。
 
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