2020年の東京五輪はオリンピックとパラリンピックを同時開催すべき

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メディアゴン編集部

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健常者によるオリンピックと、障害者によるパラリンピックはなぜ、分けて開催されるのだろう。

共生という観点から見れば、オリンピックとパラリンピックは同時に開催されるべきだとは考えられないのだろうか。

このような提案をすると、たちどころに同時開催できない理由が100個はあがってくるのではないか。たとえば、障害者水泳は、障害区分によって細かく分かれており、ひとつの種目に対して、上肢障害・下肢障害・上下肢障害・脳原性による運動障害・視覚障害・聴覚障害、さらにこれらが障害の程度によってもっと細かくクラス分けされる。もちろんそれら細かいクラス毎に、別々に表彰されている。

オリンピックとパラリンピックと一言でいうのは簡単だが、実は、出場する選手たちが健常者と障害者というだけではない違いが、様々に存在しているというわけだ。こういったことが、オリンピックと同時開催するのは無理ではないか、といった主な意見であろう。

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もちろん、それ以外にも様々な問題や課題はあるのだろう。しかし、これら挙がってくる幾多のハードルがあってもなお、同時開催すべきであると考えることはできないのだろうか。
そもそも、健常と障害というのは、同じ人間を便宜的に分けたものに過ぎない。

たとえば柔道女子が「48kg以下・52kg以下・57kg以下・63kg以下・70kg以下・78kg以下・78kg超」に分かれていると同じである。これに加えて、「女子柔道障害級」があっても何の不自然さもない。

100メートルでボルトが走った後に、障害者クラスの100メートルを実施すれば良い。400m個人メドレーで萩野公介がメダルを取った後に、障害者の個人メドレーを行えば良いのだ。

そう考えればオリンピックとパラリンピックが同時開催されることになんの支障もないということになる。さらに言えば、普段スポーツなどを一切見ないような人も、なぜかオリンピックだけは夜更かししてまで食い入るように見ている。この時、「障害者部門」が同時に行われれば、パラリンピックの視聴者も当然増え、障害者スポーツの注目度も飛躍的に上がるだろう。一方では、スポーツをビジネスの手から取り戻すといった役目も果たせるかもしれない。

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もちろん、「ボッチャ」のように、パラリンピックの正式種目でオリンピック種目になっていない競技もあるので、それらはどうなるのか? といった問題はある。関係団体などの利害関係なども多々あるだろうから、オリンピックとパラリンピックの同時開催がそう簡単ではないことは重々承知だ。

それでもなお、同時開催を目指すことは検討はできないものか。また、それを提案する政治家やメディアはいないのだろうか。2020東京がオリンピックとパラリンピックを同時開催をすることができれば、おそらく歴史に残る大会になるだろう。そのインパクトは、安倍マリオどころではないだろう。

ところで、2020東京を真夏に開催するのは、健常者にとっても障害者にとっても狂気の沙汰であるような気がするのだが、何か対策は講じられているのだろうか。もし、現段階で熱中症対策がまだ組み込まれていないようであれば、膨れ上がる予算がまた膨張するように思えてならないのだが。

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