<しょこたんに期待>五輪マスコット選考を「炎上」させない感覚


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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1月17日、2020年の東京五輪・パラリンピックの公式マスコットを選定する「マスコット選考検討会議」の初会合が開かれた。検討会議の人選とその意見交換の内容からは、今回のマスコット選考が、前回のエンブレム騒動からの「反省」というよりは、同じ轍を踏まないようにするための過剰な危機意識に基づいているように感じる。

例えば、エンブレム再選考に引き続き、マスコット選考検討会議のメンバーとなった夏野剛氏(慶応義塾大学特別招聘教授)は、「エンブレムより難易度が高い。炎上必至」と語った。笑い交じりとはいえ、選考委員の側から、こういった「予防線」をはってしまうことにはいささか残念だ。

些細なきっかけが関係者の人格批判にまで至る「炎上」を恐れる心理は理解できるが、それを回避したいがために、初っ端から「国民参加」やら「納得感」やらを強調し、予防線をはりすぎる傾向は、却ってマイナスだ。「炎上」ならずとも、揚げ足取りや粗探しを誘発しかねない。この危険性をマスコット選考検討会議はよく理解すべきであるように思う。

今回のマスコット選考のメンバーを見る限り、前回のエンブレム委員以上に、その人選には細かい配慮(あるいは「炎上しない戦略」)が見える。特に、世代と分野のバランスを意識した配慮は見事としか言いようがない人選だ。

小学校低学年世代の女児に圧倒的な人気を誇る絵本『ルルとララ』シリーズの絵本作家・あんびるやすこ氏。幅広いゲーム世代に圧倒的な実力と人気を誇るゲームクリエイター・日野晃博氏。アニメ業界団体の長もいる。

もちろん、ファッションジャーナリスト・生駒芳子氏やデザインコンサルタント・官浪辰夫氏といったデザインアカデミズムからの「重し」や、杉山愛氏、田口亜希氏といった潔白感あるアスリート枠という「正統性」も忘れていない。

当然のことながら、エンブレム騒動では、渦中の佐野研二郎氏だけでなく、審査員を含む関係者たちからもキナ臭い醜聞が上がり続けたわけだから、その轍を踏まないように、しっかりと身体検査済みの人選なのだろう。

そう考えれば、夏野氏の牽制も杞憂だろうし、全体的なトーンとしても「炎上」に過剰に怯える必要はない。もっと自信をもってマスコット選びの基準を決め、担当者を決め、作れば良いのである。それを可能にする人選であるはずだ。

【参考】<なぜ「炎上」は起きるのか>五輪エンブレム選考に見る「日本のデザイナーは勘違いで時代遅れ」

しかしながら、せっかくの人選も、それを効果的に利用できるかどうかは話が別だ。エンブレム騒動では、王貞治氏が委員に就任したものの、選考過程から決定に至るまで、「王さんらしさ」は微塵も感じなかった。「世界の王」の感性に大いに注目や期待していた人も多かっただけに、ちょっと拍子抜けだった感があった。

同じように、日野晃博氏を「妖怪ウォッチの人」にしてしまうだけでは意味がない。また、「しょこたん」こと中川翔子氏をただの「アニメ好きのタレント」として扱うようなことをしては本末転倒だ。こういったメンバーを「単なる有名人枠」にすることで大衆指示を得て満足しようとする短絡的な役人発想が出ないように願うばかりだ。

ところで、中川氏は、初会合にあたり「漫画家の力を借りたりしながら、みんなが驚く方法で選んでいけたらいいんじゃないかな」という発言をしているが、この感覚こそ、「炎上」を回避し、誰からも受け入れられる・愛されるマスコット選びには不可欠だということを強く言いたい。

そもそも今回の東京五輪では、前回のエンブレム騒動以降、五輪デザインに関するあらゆる事業に猜疑が生まれ、悪い意味で注目を集めている。しかし、過去の五輪マスコットを振り返ってみれば、それほど印象深いものはない。好みの違いによる評価や好き嫌いはあるかもしれないが、全体的には問題がないばかりか、強い印象を残すこともなく自然に受容されている。

どんなデザインになろうが、決まってしまえば、それがどのようなものでも、「それはそれ」で収まってしまう。エンブレム騒動が異常すぎただけで、本来は、センスが悪かったり、ダサいものでも、一時的に「冗談入りまじりのレジェンド」として話題になるぐらいで、良くも悪くもそれ自体が関心の中心になることはない。それが五輪関連のデザインが持つ本来の位置付けなのだ。

だからこそ、「アニメ、ゲームに代表されるように、日本はキャラクター大国だから世界から注目されている。だからクオリティの高いマスコットを作ろう」などという発想になってしまうと、五輪マスコットはどんどん「ダサく」なるだろう。日本に関心を持ち、訪日する外国人にとって、アニメ・ゲームの類を並べれば喜ぶなどという段階はすでに終えているという現実も忘れてはならない。

【参考】<コレジャナイ>東京五輪公式アニメグッズの絶望的なダサさ

究極的には、五輪マスコットは(よほど場違いなものでない限り)どんなでデザインであっても、その選考過程に不正や醜聞がなく、「炎上」がなければどのようなモノでも良いのだ。むしろ、中川氏が述べるように、「驚くような方法」を考えることの方がはるかみ話題性も夢もあるだろう。そしてその方法で自信をもって選べば良い。それが結果として「完成度(クオリティ)」が低ければ、実力ある漫画家に助けてもらって修正すれば良いのだ。

この発言の背景には、(本人が意識しているかどうかはさておき)中川氏がそれなりの深度と濃度で日本のサブカルチャーを理解し、接してきたことにあるように思う。デザインの専門家ではない中川氏は、どのようなデザインが最先端か? 評価されるのか? 展開力があるか?・・・などということはわからないだろう。

しかし、中川氏は、どんなマスコットが「痛い」のか、どんなデザインが「ダサい」のか、どんなストーリーが「イケテない」のか、どんな商品が「欲しくないのか」を、経験的な皮膚感覚でわかっているはずだ。これは、錚々たるデザインの専門家たちでは理解の難しいことだろう。もしかすると、中川氏はマスコット選考メンバーの中で、唯一それを理解している委員かもしれない。

中川氏の言う「驚くような方法」がどのようなものであるのか。今後の議論の中から見えてくるのか、それとも今回の発言だけで消えてゆくのかはわからない。しかしながら、個人的にはぜひ、その「驚くような方法」を模索して欲しいと思う。それは決して難しいことではないとも思う。

少なくとも、筆者としては、スポンサーやら、商業展開やら、クールジャパンやら、アニメ・ゲームばかりを考慮した発想さえしなければ、自ずとそれが「驚くべき方法」になると感じている。それぐらい東京五輪ではあらゆる面で上記のようなことばかりに捉われているように見える。

今回のマスコット選考の委員たちは、間違いなく最高の人選である。しかし、最高の人材が下した選択が「最高」になるとは限らない。それが証拠に、現在販売されている東京オリンピックの公式グッズの絶望的なダサさ、「欲しくない感」はズバ抜けている。変更にこそなったが、五輪ボランティアの制服のダサさも目を見張った。

いずれにせよ、一つ言える事は、しょこたんの感覚で選ばれるマスコットの方が、デザインの専門家たちのロジックや、「炎上」を過剰に恐れた方法で選ばれるようなものよりは、はるかにイケてるマスコットになる、ということであろう。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・准教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員准教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。