国には国民の「平和的生存権」を守る責任がある -植草一秀

政治経済

植草一秀[経済評論家]

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安倍内閣の今村雅弘復興相が4月4日の記者会見で、3月31日で住宅支援を打ち切られた東日本大震災の自主避難者に対し、「自己責任」であると明言した。

自主避難者に対する国の住宅支援を打ち切り、福島県を通した「サポート」に切り替える方針に対する質問に対して、今村復興相は、自主避難等の対応は「自己責任」の下にあるとの認識を示すとともに、不満があるなら「裁判でも何でもやったらいい」と突き放した。

今村復興相と記者とのやり取りは次のとおり(後半部分)

今村「ここは論争の場ではありませんから」

記者「責任を持って回答してください」

今村「責任もってやっているじゃないですか、君は何て無礼なことを言うんだ!ここは公式の場なんだよ」

記者「そうです」

今村「だからなんで無責任だと言うんだよ!」

記者「ですからちゃんと・・・」

今村「撤回しなさい!!!」

記者「撤回しません」

今村「しなさい!出て行きなさい!!もう二度とこないでくださいあなたは!!」

記村「はい、これはちゃんと記述に残してください」

今村「はいどうぞ!こんなね、人を誹謗するようなことは許さんよ、絶対」

記者「避難者を困らせてるのはあなたです」

今村「うるさい!!!!」

記者「路頭に迷わせないでください」

前橋地方裁判所は3月17日、東京電力福島第1原発事故で福島県から群馬県に避難した住民らが、国と東電に計約15億円の損害賠償を求めた訴訟について、津波を予見し、事故を防ぐことはできたと判断し、国と東電に総額約3855万円の支払いを命じる判決を示した。

裁判長は原道子氏。原裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に「マグニチュード8クラスの大地震が起こる可能性がある」と指摘した「長期評価」を重視した。

「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり考慮しなければならない合理的なものだった」とした。

国と東電は遅くとも長期評価が公表された数カ月後には、原発の安全施設が浸水する津波を予見できたと認定し、長期評価に基づいて08年5月に15.7メートルの津波を試算した東電が「実際に予見していた」と指摘した。

そのうえで、東電は、「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむを得ない」と厳しく指摘した。

他方、国について原裁判長は、長期評価から5年が過ぎた07年8月ごろには、自発的な対応が期待できなかった東電に対し、対策を取るよう権限を行使すべきだったと判断。国の権限不行使は「著しく合理性を欠く」として違法と結論付けた。

日本国憲法前文には、

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

と明記されている。そして、第13条には、

「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

と明記されている。国民の平和的生存権、幸福追求権は、立法その他の国政の上で最大の尊重をされなければならない。

自主避難者は自分や子どもの命と健康を守るために避難している。東電の原発事故がなければ避難する必要などなかった。

ICRP(国際放射線防護委員会)は2007年勧告において、累積被曝線量について100ミリシーベルト以上では確率的影響が観察され、100ミリシーベルトで発がん率が0.5%上昇するとの見解を示している。

日本政府および福島県は現在、年間線量20ミリシーベルトを許容しているが、年間線量20ミリシーベルトの数値は、わずか5年で健康への影響が明確に発生するというものである。こうした人命を無視した恐ろしい行政が、まかり通っている。

健康被害を回避するために自主避難することは、平和的生存権の行使であって、国は国政の上で最大の配慮を行う責務を負っている。これを今村復興相は「自己責任」と述べ、「裁判でも何でもやったらいい」と言い放ったのである。国民の命とくらしを守る意思がない安倍政権の基本姿勢をそのまま示すものだ。

今村復興相の辞任を求める必要がある。

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