<NHKブラタモリ>日本の中心と言われた山形県酒田はなぜ県庁所在地でないのか?


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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9月29日のNHK「ブラタモリ」は『 山形・酒田~山形・酒田はなぜ日本の中心!?~』が放送された。鳥海山と日本海を臨む港町、山形県の酒田。井原西鶴の日本永代蔵でも、西の堺、北の酒田と称された町である。

登場した案内人が、「ブラタモリの山形初来県、心待ちにしておりました!」と、意気込むと、そのやる気満々に対して、タモリは「あんまり張り切るとバテますんで・・・」といなす。このあたりの呼吸が番組らしくて好ましい。

番組は酒田が最上川の水運の集積地で、そこには山形県中に散らばる最上川沿岸の天領(幕府領)の米20万石が集まっただという事実を紹介する。そして、この米は西回り航路の北前船で大阪や江戸に向かって運ばれた。米を制すれば日本を制する。酒田が日本の中心、というわけだ。

【参考】<魅力半減>NHK「ブラタモリ」が財界に忖度?

「ブラタモリ」としては、米のことだけではなく、江戸に興隆した化粧品「紅花」のことも取り上げて欲しかった。紅花は雅称を末摘花(すえつむはな)。山形県の内陸部が主産地で、口紅に加工され江戸時代には小町紅の名で製造販売された。この小町紅が京、江戸の遊郭の女達の口元を彩ったのである、酒田はその主要輸出地である。こういう色っぽい話題は是非タモリに振って欲しかった。

これら米や紅花といった産品の貿易で、豪商になった本間家の旧宅などを紹介しながら番組は進む。その広壮な屋敷、国宝級の調度。本間家は、『本間様には及びもせぬが せめてなりたや大名に』と謳われたほどの殷賑を極めた。

さて、この句で大名と呼ばれているのが、庄内酒井藩である。徳川幕府では、大老四家の一つに数えられ、一族から大老や老中を輩出している譜代の名門が、なぜ、こんな北の地を知行させられたか。その理由のひとつが、天領の存在なのである。庄内藩は天領の米を守る任務を帯びていた。

そして、時代を下ること慶応4年3月、薩・長政府は東北諸藩を征討する目的で仙台に奥羽鎮撫使を派遣した。この奥羽鎮撫使軍が、山形県内に貯蔵された天領米(薩長から見れば新政府の米)を接収しようとして庄内酒井藩との戦いに発展するのである。その時、新政府軍・奥羽鎮撫使先導代理のを務めたのが織田信長の直系で、その時はわずか2万石に零落していた天童織田藩の家老、吉田大八守隆であった。

結局、朝敵として扱われることになる酒井藩の領地酒田は、県庁所在地になることなくその座は山形に奪われたのである。日本海側にある府県で、海側に県庁所在地がないのは京都府を除き山形県のみだ。

 

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