子どもの自死・虐待死に最終責任負う安倍内閣 -植草一秀

植草一秀[経済評論家]

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子どもをめぐる悲惨な事件が続いている。

千葉県では小学校4年の女児が親から虐待を受けて死亡する事件が発生した。学校が実施したアンケートに女児が家庭内での虐待を記述した。そのアンケートを実施したことを学校が父親に告げ、父親が、娘が記述したアンケート用紙を入手。これが虐待をエスカレートさせる原因になったと疑われている。回答者に対して秘密を守ることを伝えておきながら、学校は虐待の加害者である父親に娘の回答を渡していたのである。

女児は児童相談所で保護されていたが、父親の強い要請に屈して女児を父親の元に返した。結果は女児が虐待死するという取り返しのつかないものになった。暴虐の限りを尽くす国家から隣国へ逃れた市民から暴虐国家への批判を聞き取り、聴取内容を添えてこの難民を当該暴虐国家に強制送還したようなものだ。虐待死の原因を学校や児童相談所などの行政機関が生み出したと言える。

昨年11月には、宮城県仙台市泉区で母親と小学2年の長女の無理心中とみられる事件があった。父親は本年1月21日、仙台市教育委員会に第三者委員会による調査を求める要望書を提出した。父親は「長女は学校でいじめを受け、相談を受けた学校も対応を怠った」と訴えている。

報道によると、父親は、長女が小学1年だった昨年3月ごろから、同級生に仲間外れにされる、たたかれそうになるなどのいじめを受けていたという。両親から相談を受けた学校は「いじめがあったという事実をもとに、マニュアルにのっとって対応する」と返答したが、対応は進まず、長女は精神的に不安定となり、母親も体調を崩した。

長女は昨年8月ごろ、文中で6度も「しにたいよ」と訴える手紙を両親宛てに書き、「わるいことしかないよ」、「いじめられてなにもいいことないよ」などと訴えていた。その後、父親が昨年11月29日に、2人が自宅で死亡しているところを発見したというものである。要望書提出の際の取材に対して父親は、「何十回といじめについて相談したが、対応してもらえず絶望していた」と時折涙をこらえながら訴えた。

子どもの人権、生命、健康が守られていない。千葉県の虐待死は親による犯罪行為が直接の原因であるが、学校や児童相談所などの行政機関の対応の不適切さが悲劇を生んだと言える。宮城県の事例では学校側の対応が不適切であったと考えられる。

安倍首相が「子どもの命を守ることを最優先に、児童虐待の根絶に向けて総力を挙げて取り組んでもらいたい」と述べたと報じられているが、安倍首相に当事者意識がないことが最大の問題である。学校にしろ、児童相談所にしろ、れっきとした行政機関である。国家の役割は国民の生命、自由、人権を守ることにある。とりわけ、弱い立場にある子どもの命と健康、人権を守ることは政府の大きな責務である。

学校の不適切な対応、児童相談所の不適切な対応の最終責任者は内閣総理大臣である。内閣総理大臣として適切な行政運営を実現できていないから、このような悲劇が繰り返されているのだ。

「児童虐待の根絶に向けて総力を挙げて取り組んでもらいたい」

との発言は、明白な責任転嫁の言葉だ。

「このような事態が発生した最終的な責任は内閣総理大臣である自分にある。責任を厳粛に受け止めて、二度とこのような事態が発生しないように万全の対応を取る」

というのが行政の最高責任者としての当然の言葉である。安倍内閣は、いじめによる自死や虐待による死亡事件などが繰り返されているにもかかわらず、抜本的な対応を取ってこなかった。そのために悲劇が繰り返されている。

いじめの放置は学校の責任であり、いじめが存在するのに児童生徒の生命、健康を守ることを最優先しないことは学校や教育委員会の職務怠慢である。子どもの権利条約を批准している日本政府は「子どもの最善の利益」を考慮する責任を負っている。しかし、制度的な対応が完全に遅れているのだ。

また、虐待は刑事罰が問われる犯罪事案である。犯罪事案が発生している疑いが濃厚であるのに適切な対応を取らないことも職務怠慢ということになる。いずれにしても、行政の最高責任者が自らの責任を自覚することもないのでは、問題解決など実現しようがないと言わざるを得ない。

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