<大学在学者は失業率にカウントすべき?>学ぶことも働くこともできない128万人の若き失業者たち

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家]
2013年11月28日

 
敢えて極論を書く。「大学在学者は失業率にカウントすべきである。」
その論拠は以下のようなものである。
文部科学省が、今年3月、発表した「教育指標の国際比較・平成25年版」によれば、日本における大学・短大・通信制・放送大学までを合わせた大学進学率は58.7%である。大学在学者数は、現在256万2千人である。OECD平均の大学進学率は62%(2010年)であり、有意差を考えればほぼ同じということであろう。しかし、これら大学生のうち、大学に進学して勉学することが、純粋に就業につながる人の比率はどれくらいであるかと考えるといささか心もとない。回りくどい言い方になったがはっきり言えばこうである。

「勉強しようと思って大学に入っているものは少ない」

普段大学生と接しているものとしての印象論で申し訳ないが、大学生の半数は勉強しようと思っていないだろう。半数のものにとっては、大学に入ったことで(人並みになったことで)すでに目的は達せられており、後は就職までの猶予期間に成り下がっている。その数は全体の半数と仮定すれば、単純計算で128万人。
日本では、完全失業率の定義は次のようなものである。「仕事がなくて少しも仕事をしなかった者のうち、就業が可能でこれを希望し、かつ仕事を探していた者及び仕事があれば、すぐ就ける状態で過去に行った求職活動の結果を待っている者」(総務省統計局)となれば、128万人の大学生は失業率に算入されるのではないか。15〜24歳層の失業率8.0%はもっと上がる。
中学を出て職人修業を始めるもの、高校を出て農業を営むもの、大学を出なければつけない職につくもの、社会に出てからもう一度勉強したくなったもの、多様な人生のルートを認める社会こそ理想なのではないのか。
みなが大学に進学することになって新たな問題も起きている。奨学金である。「日本学生支援機構奨学金」を無利子で借りられる成績優秀なものはまだよいが、たとえば、成績要件なしで借りられる「日本政策金融公庫教育一般貸付」の助言300万円、 利率2.35% は、もはや借金、ローンである。後者あくまで保護者に対する貸付という位置づけだが社会に出たとたん300万円の借金を背負っているという状態は正常ではない。日本育英下院尾奨学金が成績優秀なものに貸し与えられていた牧歌的な時代とは、今は完全に異なっているのである。
60%近くのものが大学に進むという画一化が、日本に限らず先進各国で進んでしまったのはなぜだろう。ネオテニー(neoteny)とは、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、幼形成熟のことを言うが、ヒトがネオテニーとして進化していく世界を私は正常だとは思わない。
グローバリゼイションという名のアメリカナイゼイションに着々と侵されされつつある日本は、その誤りを潔く認めて先進各国の大学進学率の外に超然と立ち、独自の教育観をきちんと構築すべきである。ちなみにアメリカの大学進学率は74%である。