<映画「ジョーカー」>エロスとタナトスを描いて情動を揺さぶる秀作

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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人間の本能は突き詰めればエロスとタナトスにたどり着くと喝破したのは、かの精神分析の祖ジークムント・フロイトである。エロスは性、生きる情動。タナトスは、暴力、死の衝動。このエロスとタナトスを、映像として見事に表現したのが映画「ジョーカー」(原題:Joker・監督トッド・フィリップス)である。

これを単なるアメコミ(アメリカン・コミックス)バットマンのスピンオフ映画として見てはいけない。これまでコミックには描かれなかったバットマンの仇敵ジョーカーが、いかに誕生したかをスコット・シルヴァーとの共同脚本によってオリジナルで描いたのがトッド・フィリップス監督なのである。つまり本作は、「余は如何にしてジョーカーとなりし乎」への言及なのである。

人心の荒むゴッサムシティに住む大道芸人のアーサー・フレック(ホアキン・ラファエル・フェニックス)は、母ペニーの介護をしながら、発作的に笑い出すという病気を患っていたため、自身もまた福祉センターでカウンセリングを受けながら毎日を過ごしていた。彼は、コメディアンを目指しているがその道には高い壁が立ちはだかっている。

[参考]「アベンジャーズ/エンドゲーム」3時間01分は長すぎる!

市当局が福祉として実施するカウンセリングはアーサーを救うことはない。エロスとタナトスを唱えたフロイトの精神分析学やその後に発展した精神分析学的治療は、もう、すでに、その効果はほぼ否定されており、カウンセラーは、ただの、(話し相手としての存在)にしかならないという状態を示している。

残ったのはエロスとタナトスである。ジョーカーは次々にマイナスのエロスとタナトスに苛まれていく。エロスとタナトスはちょっと考えれば表裏一体であることに気づくだろうが、ジョーカーを襲うのは裏側の、影の、邪悪な方のエロスとタナトスである。そうなったとき、人間はどうなるか。

「余はジョーカーとなるほかに術を知らず」

実は、この映画にはバットマンの誕生「余は如何にしてジョーカーとなりし乎」も描かれているのだか、それが何かは映画を見ていただこう。ホアキン・ラファエル・フェニックスは怪演。アカデミー賞が取れたらいいと思う。

 

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