<出演者にも、スタッフにもいる>何にも考えないでテレビ番組の本番に臨む人

テレビ

高橋秀樹[放送作家]
2014年4月11日

 
プロならば、仕事に臨むときは、絶対に何らかの準備をするはずである。たとえば、大学教授が90分の講義に臨む時は、綿密な準備をするのが通常である。たとえば僕の場合は90分の講義なら3倍の270分は最低準備に必要だ。サラリーマンでも会議の前にはなんらかの意見を考えて臨む。考えないで会議に出るやつは会議には必要ないというのは誰もが思うことだ。
このルールはテレビの生放送をやる場合にも、スタッフ、演者すべてに適用されるのは当たり前のことである。考えないで生放送をやろうとする人が多ければ多いほど番組はつまらなくなるだろう。
番組に考えないで臨む人とはどんな人だろう。これが意外なことに、番組スタッフを構成する上層部に多い。ADは、フリップを出すタイミングを任されて、いつ出せば効果的か、ずっと考えている。中身のVTRを作った取材ディレクターは、自分のVTR をよりよく観てもらうために演者にどう説明したらよいかずっと考えている。
タイムキーパーは番組の流れをスムーズにするのはどう時間配分をしたらよいか、演出のディレクターとともに悩み続けている。照明マンは、出演する女優にどう明かりを当てればもっともきれいに写るかを考えている。
ところがである。考えて番組に臨まない人がいる。
まず、最悪なのは、何も考えないで番組に望む演者がいる場合である。いるはずがないと思うかもしれないが、経験則上、存在する。スタッフが用意した流れに沿って、ただただ凡庸な印象批評をしていればギャラがもらえると思っている演者が存在するのである。
許せないと思う。同じスタジオで同じ時間働いていながら、ADに比べて100倍も高いギャラをもらっていながら、何も考えてこない演者。例外なくつまらないし、スタッフからの尊敬も集まらない、こういう演者は早晩消えていくし、番組も打ち切りになる。
難しいのは、何も考えないで番組に臨んでほしい瞬発力型の演者もいる点である。横山やすし、明石家さんま、みのもんた、と言った人々。これらの人には事前にVTR は見せないし、リハーサルは本人抜きで行うなどの工夫が必要だ。
それから、何も考えないで、番組に臨むプロデュサー。これは意外に多い。誤解を恐れずに言えば、本番のときにプロデュサーが自ら動く仕事はなきに等しい。
プロデュサーの仕事は番組を総体的に、“虚心坦懐”に観て、改善点を発見することである。虚心坦懐とは心にわだかまりがなく、平静に事に臨むことであるのはご存知のとおりだが、この虚心坦懐は、容易に何も考ないことにつながる。
番組全体を見渡すことは、大変難しいので、プロデューサーはその時々にテーマを決めて番組を見るべきなのである。今日は、司会者のしゃべりを、今日は、コーナー企画の出来を、今日は、全体の流れがスムーズかを。こうしてテーマを考えて番組を見るプロデューサーこそが考えて番組に臨むことにつながるのである。
さらにプロデューサーの役目はスタジオから、何も考えていない人を丁寧に減らしていくことであるのだ。