<カジノの是非>日本は賭場を開帳するヤクザになるのか?

物部尚[エッセイスト]

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筆者はギャンブラーの端くれを自認している。種目は競艇を中心にいろいろと。40年くらいギャンブルをやって来て分かったのは、「ギャンブルは止められない」ということと、「ギャンブルは貧乏人では勝ちきることが出来ない」ということである。

ギャンブルは止められないのはなぜか。この理由は単純で、中毒症状が出るからである。

全財産が、もう、明日のメシ代にする1000円しかない時にさえ、「待てよ、もう一勝負すれば・・・」と思い立ってしまう発想のすばらしさ。その1000円全額をかけて舟券を買う時の恍惚感はギャンブラーなら誰しもが知っている感覚だろう。予想をする時の集中力。窓口に手を出して、おばちゃんから舟券を受け取った時の指先の熱。そして、それが当たった時に身体全体に感じるとめられない震え。つま先から身体全体に上がってくるように感じる震えの電波、幸福感。

連勝単式一本買いに330円の配当が付いて、投資した1000円は3300円になった・・・。そんな時、ギャンブラーなら誰しも「明日のメシ代は、なんだカンタンにできたじゃないか、よし、もうひとレースやろう」と思ってしまうだろう。

ギャンブルは止められない。だからこそ、今更ながら「日本にカジノはいらない」とギャンブル歴40年のギャンブラーの端くれとして強く思うのだ。

「ギャンブルに必勝法はない」とわれる。だが、これは嘘だ。ひとつだけある。それこれから記す。

あるギャンブルに1000円賭けた。負けた。負けたら、次のチャンスに倍の2000円を賭ける。また負けた。次には、さらに倍の4000円を賭ける。また負けた。負けても負けても、これを繰り返す。8000円、16000円、32000円、64000円、128000円、256000円、512000円・・・・。負けたら倍額負けたら倍額と賭け続けていけば、ギャンブルだからいつかは勝つ。勝った時点で賭けるのをさっさと止める、そうすれば必ず勝っている。

[参考]頭脳明晰を微塵も感じさせなかったゴーン会見

だが、これは貧乏人には出来ない金持ちだけが出来る賭け方だ。しかも無尽蔵の富を持っているものにしか出来ない賭け方だ。そういう金持ちはいる。人口の1%ほどが、そうだといわれている富裕層だ。

つまりギャンブラーにも格差があり、結局は格差で勝負が決まる。それがギャンブルの本当の姿なのだ。

そして、この必勝法でギャンブルに勝つにはもうひとつ必要なのものがある。時間である。勝つまでギャンブル場に居続ける必要があるからだ。それがいつになるのかはわからない。無尽蔵との富と無尽蔵の時間が必要なものがギャンブルなのだ。

だから、今更ながら言う。日本にカジノはいらない。

IR(統合型リゾート)のカジノなどと取り繕った言い方で、新しいエンターテインメントのあり方、欧米型のリゾートの誘致のような印象を持たせるが、結局は、身も蓋もなく言えば「賭場」である。日本国がエンターテインメントを装って「賭場」を開帳しているにすぎないのだ。

ギャンブルに携わって、金儲けをしようとした昔の人は、自分がバクチをやるのではなく、人にバクチをやらせてそのカスミをとって儲けることを思いついた。それが「賭場」である。ヤクザは親分の襲名披露などがあるとカネが必要なので「賭場」を開いた。賭場を開いて近隣の親分衆を賭場に招いて、バクチをして遊んでもらった。親分衆は応分の祝儀と「賭場」で遊ぶことによって、襲名する当の親分にカネを回した。

江戸時代、「賭場」を開く場所は町奉行が手を出せない寺の本堂や、貧乏旗本の屋敷であったそうだ。もちろん寺社奉行には賄賂がわたっていた。この辺の闇の利権発生IRと似ている。

日本に開設されるかもしれないカジノもおなじことだ。外国の旦那衆に遊んでもらって、日本にカネを回してもらう。それがカジノだ。

貧しい発展途上国でもない日本が「賭博」を開帳するヤクザのポジションになっている。そんなことをして金儲けをしなくてもいいだろう。だから、今更ながら大声で言う。日本にカジノはいらない。

 

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