ドラマ「ドラゴン桜」で描かれる発達障害者は普通ではない?

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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発達障害の東大受験生が描かれていると聞いて、『ドラゴン桜』(TBS日曜夜9時)を、3話から7話まで見た。ところが、発達障害より気になることがあったので、そちらを先に記す。

本作は、とにかくずっと説明をするドラマだ。阿部寛は延々とドラマの展開やセリフにして状況を喋り、長澤まさみは時折、視聴者に成り代わって、反対意見や、疑問をセリフにして差し挟む。二人の間に広がる光景は、その人物設定や心理描写を生徒役の役者が、またまた、セリフで説明する。

とにかくずっと説明しているのを聞いて、筆者は疲れてしまったが、テレビ局が今ターゲットにしようとしている若い人たちもこの「説明ばっかり」が好きなのだろか。

「ラジオドラマみたいな台本書くなよ」とは、映像作品として書かれた脚本に対する最大の侮辱の一つであるが、筆者が『ドラゴン桜』を見た感想は「ラジオでもこんなには説明しないだろう」であった。ちなみに、映像を消してセリフと劇伴(音楽)だけ聞いてみるという失礼な実験をやってみたが、このほうが、心象風景を刺激される部分があってよかった。

[参考]日本に主役が張れる喜劇役者がいない危機

「セリフに語らせるな。アクション(行動・動き・芝居)に語らせろ」というテレビマンの先達の教えは、コロナ以後、死語となるのだろうか?

さて、ドラマでの発達障害の描き方である。調べたところによると原作漫画には登場しないテレビドラマオリジナルの役だそうであるから、多くの必然から設定されたに違いないと想像する。まずもって以下のようなイメージを利用しただけの役にはしてほしくないものだ。

ある特定の技能にだけ、天才的に優れた能力を持つ発達障害者。

うーん、いまのところ見ただけでは、上記特性を利用したいがための役であるとしか判断できなかった。残念なことだ。それに、発達障害生徒・原健太役の細田佳央太は、あの奇妙な役作りをどこでしたのだろうか。当事者に会ったのだろうか。

改めて、発達障害概念の説明はここでは行わないが、「ある特定の技能にだけ、天才的に優れた能力を持つ人」も確かに存在するが「多くは、凡人の発達障害者」なのである。「ある特定の技能にだけ、天才的に優れた能力を持つ」は、非常に目立つから、こういう人ばかりが登場すると容易にイメージづけがなされてしまい、世の中の発達障害認識のスタンダードになってしまうのはよろしいことではない。こんなことでは凡人の発達障害者は生きずらい状態になってしまう。発達障害者がニュートンやエジソンや、アインシュタインばかりではないと言ったらわかっていただけるだろうか。

発達障害の多様さを、筆者個人の責任で、乱暴にまとめておく。

*知能は天才レベルから3歳未満の知能にとどまる最重度知的障害までさまざま。

*写真に固着させるように、見たものを細部まで記憶に固定する能力を持つ人(山下清画伯)がいる一方で、絵を書くのも絵で覚えるのも苦手、音で覚えるなら、という人もいる。ドラマでは聞き流しで英語を覚える方法が紹介されており、SNS上では、「聞いて覚えるのは苦手なのに」との意見も載っていたが、「聞いて覚えるのは得意」な発達障害者もいる。

*発達障害という言い方が今どきの流行りだが、まとめていうのはどうなんだろうか、というのが筆者の考えだ。下位項目の分類として、「自閉症スペクトラム」「AD/HD( 注意欠如/多動性障害)」「学習障害(書字障害、読字障害、計算障害)」。

最近では吃音症も発達障害に分類する方法がある。学習障害であれば義務教育レベルになるのに多大な努力を要するか、または不可能だ。

国立大学の受験は平均的に成績が良いのが有利で、偏った成績では何らかの対策を施さないと大変だ。ところが、筆者自身大学を中退してから、大学院に進んだ経験を踏まえると大学院は東大であっても偏った能力があれば進学できる。どうしても東大に行きたかったら東京大学「院」に進学して、学歴ロンダリングすればよいのである。

『ドラゴン桜』のプロデューサー、脚本家、ディレクターはどこまで、こうしたフィクションのこともわかる専門家の『説明に耳を傾けて』くれたであろうか。

 

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