パックンにみる小室圭騒動のワイドショーコメンテーターの忖度

社会・メディア

藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]

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東京五輪に続くワイドショーネタといえば、言うまでもなく小室圭米法律事務所職員と眞子元内親王の結婚騒動とその中核にある小室母・佳代氏の金銭トラブルだろう。五輪禍・小室禍とも、本来は今世紀最大の祝福ムードで展開されるはずが、歴史的な醜聞として記憶される結末になったことも共通している。

東京五輪禍に続く小室禍を除けば、メディアを賑わせるのは、ひな壇タレントにコンビニスイーツのランキングを食べさせたり、冷凍食品紹介させたり、バスの旅で散歩をさせたりと、同じ様なコンテンツばかり。小室圭職員母子騒動を通して、我が国のエンターテインメントの凋落を強く感じるのは筆者だけではあるまい。

とはいえ、事実か憶測の議論はあるにせよ、毎日のように出てくる小室圭職員母子をめぐる醜聞は、昼ドラマやリアリティショーを超越した娯楽性があることは誰の目にも明らかだ。もちろん、ご皇室に絡むネタであるだけに、不敬を感じるケースも多々みられるが、それでもキラーコンテンツ化した今、この盛り上がりを抑えることは困難だろう。入籍されても、おそらくこの盛り上がりが沈静化することはないだろう。

そんな中で開催された10月26日、小室圭米法律事務所職員と眞子元内親王の結婚会見。事前に揃っている状況は「最悪」としか言いようがない状態での開催である。前日になって急遽、一方的なメッセージを読み上げるという方式への切り替えたこともそれに拍車をかけた。この展開もワイドショーや週刊誌がエンタメコンテンツ化させてしまう要因でもある。全ての動きに、あまりにもツッコミどころが満載すぎる。

もちろん、会見を受けて複数のテレビ局では特番が組まれた。10月1日の眞子さんの複雑性PTSD報道以降、テレビメディアでは「忖度を感じる祝福ムード」が出ていると言われるが、それを批判したり指摘することで週刊誌やネットメディアがさらに盛り上がる。どちらに転んでも事態は改善はしない、いわゆる「無限地獄」の様相だ。

テレビでのコメンテーターの忖度や白々しさばかりが目立つコメントなども、「祝福の逆効果」を感じるしかないものも少なくない。例えば、会見同日に読売テレビで放送された「ミヤネ屋」において、お笑いコンビ、パックンマックンのアメリカ出身パックン氏のコメントに感じる違和感はまさにそれだ。

コメントの流れはこうだ。(カッコ内は筆者註)

宮根誠司氏「(日本雑誌協会からの質問に関し)プリンセス・マコのフィアンセであることが入学やその他のことに影響したのではないか」

司会・宮根氏からの話題を受け、パックン氏は妙なテンションで以下のように力説した。

パックン氏「(将来の天皇の義兄であることが入学の際に考慮されるようなことは)アメリカの入学制度としてありえないことだと思います。少なくとも僕の母校(ハーバド大)では、いろんな皇室・王室の子供がいらしたんですけど、みんな平均以上の点数を取って入るんですよ。」

ようは、週刊誌報道などによる小室圭職員のフォーダム大学入学に関する「皇室利用疑惑」は憶測でしかなく、皇室利用による忖度入学などアメリカの大学ではありえないことだ、事実無根だ、という趣旨である。このコメントを見て、パックン氏がこのような小室圭職員を擁護するためだけのコメントをしたことに違和感を感じた人は筆者だけではあるまい。

パックン氏は「アメリカの入学制度としてありえない」と断言するが、これは憶測以外のなにものでもない。そもそもあなたはアメリカの大学の入学システムの何を知っているというのか、と突っ込みたくなる。アメリカは大学は、卒業すれば入学評価に精通できるようなものではない。

[参考]<巨額報酬はない?>小室母・刑事告発はフィクション越え

大学というものは、入学も単位認定も卒業も、原則としてあらゆる外的要因から独立して、各大学が各大学の基準で認定し、決定している。入学に際して何を重要視するのか、特別な基準や条件の有無を含め、それぞれ多様に異なる。レベルの高低や規模の大小はあっても、最終的には各大学の独自性ということで決定されるものなのだ。

少なくとも、私立大学では政治的な制御から離れて独自の評価をできることこそが魅力でもある。それが多様性の担保になるからこそ、大学にはアスリートや芸術家、社会活動家あるいは一芸に秀でた才能や「特筆すべき事項」を持つ学生が多数在籍しているのだ。プリンセスや、そのフィアンセというステイタスだって、一般的には「一芸」や「特筆すべき事項」として扱われても決しておかしくない。

だからこそ、不正と疑われるような事件も発生する。2019年に、アメリカの複数の名門校で、セレブの子息・令嬢40名以上の大規模な不正入学が発覚し、事件になったことは記憶に新しい。アメリカ人のパックンがこの大事件を知らないはずはないだろう。

もちろん、不正のリスクと多様な人材の確保は「諸刃の刃」でもある。全ての大学がそのリスクには細心の注意をはらっている。それでも不正や疑惑が世界中の大学で起きているのが現状だ。しかし、そういったリスクを覚悟した上で、右往左往しながら大学としての多様性や魅力を模索することは、日本でもアメリカでも同様だ。

そういった大学業界の実情を踏まえた上で、フォーダム大学がどのような入学基準を設けているのかを、パックン氏が知るはずはないし、「将来の天皇の義兄であることと大学は無関係」と断言できるはずもない。筆者は日本人の大学教授だが、日本の大学入学システムのことなど、自分の大学で自分が担当している範囲ぐらいのことしか知らない。他の教授だってそうだろう。他大などもってのほかで、日本全体のことなどは見当すらつかない。

筆者は早稲田大学の出身であり、在学中にはさまざまな学生がいた。優秀な学生も多くいたが、必ずしも偏差値では測れない一芸に秀でた人たちもいた。同世代には女優の広末涼子さえいた。そういった多様な学生たちを見て思ったことは、大学として多様な価値観と基準で、多様な人材を集めているんだな・・・ということだ。多様な価値観や基準があって良い。筆者は世界中の大学がそうであれと願っている。

いづれにせよ、アメリカから来たハーバード大学出身というだけで、小室圭職員への週刊誌報道に対して、「アメリカの大学では制度上ありえない」と断言などできるはずもない。おそらく、この発言を受けて「パックンが擁護発言」云々とネットメディアやSNSは騒ぐだろうし、これを報じたヤフーニュースのコメント欄も荒れるのだろう。パックン氏は応援しているつもりかもしれないが、実態としてはフルパワーで炎上要素を撒き散らしている。そして、こういう不見識な擁護コメントで炎上や批判を加速させるワイドショーコメンテーターがあまりにも多い。

もちろん、週刊誌やネット民たちの情報発信を抑制する意味を込めたパックン氏なりの「小室圭・眞子新婚夫妻へのリップサービス」であるだけなのかもしれないが、結果としては逆効果だ。パックン氏のような才能豊かな芸人であれば、こんなリスキーな忖度コメントを出さずとも、もっとセンスのある切り口で適格なメッセージを出せるはずだ。

こういう場面でこそ、インテリ芸人の見本を見せて欲しいものだ。

 

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