<隅田川で鯉を釣る?>テレビ番組はまず「やってみること」で興味深い出来事が起きるのだ

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
***
新しい情報を目にすると「それを紹介すれば番組になる」とつい考えてしまう。このネタ知ってますか? という方法論だ。これはテレビにとって王道の方法論。ニュースは基本的にこれだ。
しかし、毎回新しいネタを出すのは難しい。人手も組織もノウハウも必要だ。すなわち金がかかるのだ。
この方法論が、ノンフィクションのバラエティーにも増えている。情報に頼るバラエティーが増えているからだ。しかしながら、これが難しい。バラエティー班には人手も組織もノウハウもない。報道のように毎日にニュースを流すことは出来ない。
そこで「どこかで見たコトがあるようなモノ」が出てくる。その情報を知らなかった人には新鮮だが、大抵知っている人がいる。知っている人には面白みがない。新鮮味がない。更に、作り手が不勉強で知らないだけだったとしても、知ってますか? の方法論を押し付けてしまうことになる。
そうなると、「これではまずい!」と気づく作り手がいる。するとスタジオに、知らない人(多くの場合「知らないことをウリにする芸人」)を連れてきて「こき下ろすこと」で成立させようとする。しかし、これもあまり面白いやり口ではない。どこかで見たネタがどんどん増えていくことに変わりはない。
やはり、何かやり方が必要なのだ。
かつて隅田川をテーマにした番組を作ったことがある。放送まであまり時間がなく大勢でネタを探し回った。その中で妙な新聞記事を見つけた。隅田川で魚が釣れたというものだった。しかも、鯉である。鯉が釣れるくらいで新聞記事になるのかと思った。20年ほど前のことである。
とりあえず台東区役所に事情を聞きに行った。確かに、隅田川で鯉が釣れるのは珍しいという。調べてみれば、いろいろなデータがあった。隅田川の水質が悪くなって以降、隅田川で釣の調査をしたデータというものがあった。昭和40年代、50年代と「ゼロ」である。平成に入ると、少しずつ釣れている。それも1とか3とか言う数字が記されていた。
釣れる様になったのは「鯉の放流」を始めたからだという。
そこで改めて「どうしたら番組なるか?』をしばらく考えた。この場合、知っているかどうかでは、とてもネタにはなりそうになかった。だが、調査で「ずっと釣っている人がいる」ということネタになるかもしれないと思った。釣り続けている人がいる。
そこで「釣り大会をやろう」と発案した。当時、誰もが本当に釣れるのか? と疑心暗鬼だった。やはり隅田川には汚いイメージしかなかったからだ。だが、釣り大会に協力してくれる人がいた。ずっとここで調査をしてきた人々だ。釣り大会の当日は四月の暖かい日だった。幟(のぼり)を立て、横断幕を張り、朝から釣り大会を開催した。大きな水槽を準備し、釣果がわかるようにして、自然に集まる人を待った。もの珍しさでいろいろな人がやって来て覗き込む。

「釣れるわけないだろう」

と話しかけてくるお爺さんがいた。「釣れたと新聞に書いてある」といっても信用しない。新聞を見せても、字が小さくて読めない、釣れるわけはないと頑として譲らない。「昔は釣れた、隅田川にはたくさん魚がいたのだ」と思い出話をする人もいた。中には投網を持ってくる人もいた。器用に隅田川に投げ入れる。だが、何もかからない。それでも楽しそうだ。昔は取れたぞと、童心に返っているのだろう。
釣り船を頼み、船に乗って隅田川をきれいにする会の人々と隅田川に出た。船は上流に向かった。海ではない。東京湾で取れるのはわかりきっている。上流に少し行くと古くからある造船所があり、それを過ぎると工場がある。排水が出ている。船はその脇につけた。そこで釣り糸を垂れてみる。
するとどうだろう。釣れたのだ。大きな鯉だった。しかも、一匹ではなかった。4~ 5匹が釣れた。放流したものが集まっているのだ。
戻って水槽に入れると、たくさんの人だかりが出来た。みな嬉しそうである。たかが鯉、それをあたかも積年の恋人のように見ている。キラキラした目は少年の目である。隅田川に魚が戻ってきてほしいという希望が伝わってくる。しばらく見た後川に戻した。誰もがずっと魚の行方を追っていた。
「やってみる」というのは重要な方法論だ。
参加した人たちは実に生き生きする。実感がよみがえってくる。テレビの特性はやはり「やってみること」だ。「やってみる」と何が起こるかわからない、しかし、ただ知っているか否かよりよほど興味ある出来事が起こる。
まず体験する、それがテレビだと思う。
[メディアゴン主筆・高橋:註]バラエティがノンフィクションにすりより、ノンフィクションがバラエティにすりよる。それ自体は演出の技法として何の問題もないが、すりよって、垣根を越えるとき、やってはいけないことをやっていないか点検しなければならない。
 
【あわせて読みたい】