<音声から文字へ変化する若者のコミュニケーション>口ベタな高校生もSNSを利用した文字言語での議論では饒舌

デジタル・IT

黒田麻衣子[徳島テレビ祭スタッフ]
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何を隠そう、筆者は現役の国語教師でもある。(厳密に言えば、県立高校は退職しているので正職員としての「教師」ではないが、心は今以て「高校教師」のままであり、今も生徒を指導しているので、敢えて教師を名乗らせていただく)
高校生を教えはじめて、20年。
「児童・生徒の活字離れ」はすでに筆者が高校生の頃から叫ばれていた。読書量が減ったことは、情報源が書籍や新聞からテレビに取って替わったことが原因と分析されていた。
その頃は、いわゆる「低学力」と呼ばれる生徒たちはすべからく、教科書の音読が苦手であった。活字を読み慣れていないから、文字を目で追いながら意味を捉えることが難しかったのだろう。漢字など出てこようものなら、それが小学校で習うはずの文字であっても、読めない高校生がいた。
ところが今、いわゆる「低学力」と呼ばれる生徒層であっても、音読させると、それなりに読みこなす。指導者とそう変わらないスピードで、読むことができる。漢字にしても、昔の生徒よりははるかに読める。
20年前の生徒と今の生徒で、読書量が大幅に変化したわけではない。生徒を取り巻くメディア環境が大きく変化したのだ。
この20年で、高校生の主たる通信ツールは電話からメールへと変わってきた。音声言語から文字言語へ、通信ツールが変化したことにより、生徒は文字に親しむ生活をしている。
おかげで、教科書の音読という、文字を追う学習活動に抵抗感はないらしい。(とはいえ、読解力が向上したわけではない。文字を音声化することと内容を理解して読むことは別の力である。この件についてはこれ以上言及しない)
発言についても、同様だ。日常的にブログやSNSで「自分」を発信している生徒達にとって、文字言語での自己表現には抵抗がないらしい。
数年前、当時、私が勤めていた進学校で、夏目漱石の『こころ』の授業をしたときのことである。重い素材であったこともあいまって、1時間目の教室内はお通夜のような雰囲気であった。
そこで筆者は、模擬SNSサイトを用意して、授業中、生徒全員に自分のケータイを持たせ、指導者の発問に対する意見を、すべてメールで答えさせた。生徒が送信したメールは、ハンドルネームで仮名化されて、全員に共有され、サイト内で意見を交換することもできる。
これは、非常に効果的であった。ふだんは授業で発言をしない生徒達が、長文を投稿し合い、深く議論してくれた。授業中に皆の前で発言することはためらいがあるが、メールによる投稿としたことで、抵抗がなくなり、思ったことをどんどん発信できたのだ。
音声言語で伝えることは苦手だけれど、文字でやり取りすることには、まったく抵抗がない、ということが証明されたと言えるかもしれない。この授業では、クラス内で口べたな生徒であっても、積極的に「発言」していたことからもそれは明らかだった。
若者のコミュニケーション手段は、音声から文字へ、変化しつつある。音声でのコミュニケーションが皆無になるわけではないが、文字言語への依存は確実に高まっている。
 
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