ワイドショー革命とらえた「豊田商事会長刺殺事件」や「ビートたけし・フライデー襲撃事件」


高橋秀樹[放送作家]

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テレビのワイドショーに革命を起こしたのは1970年台の技術革新であった。今では当たり前のビデオテープレコーダー(VTR)であるが、それまで外で行われるロケーションでは、フィルムカメラが用いられていた。

その当時に、こんな逸話がある。 1972年9月29日に行われた、日中国交正常化における、日本国政府と中華人民共和国政府調印式での、田中角栄・周恩来両首相の署名及び日中共同声明。この取材に入れたのはTBSの民放代表カメラのみだった。

当然、カメラマンは緊張した。もちろん、歴史的な瞬間を記録するという事実の重さを感じとっていたからだろう。しかしそれ以上に彼を緊張させたのは、調印式の現場に持ち込めるフィルムが、わずか尺3分の一巻のみであったということだ。どこを切り取って3分に納めればよいのか。力量の問われる勝負だったのだ。

当時、VTRは既に普及していたが、あるのは2インチVTR(5.08cm)幅のオープンリールであり、重さは60分で一巻5キロはあったのではないか。テープは大変高価で、作品が保存されずに、テープは上書きされ、使いまわされるのが原則だったぐらいだ。

生放送されるワイドショーは、前日までに取材を終えた素材から借用して作るのが宿命だった。

そこにENGカメラが登場した。 ENGとは「Electronic News Gathering」のことを示す放送用語である。直訳すれば「電子的にニュースを集めること」になる。電子的とはフィルムを用いないという意味である。ニュースに限らず、ワイドショーやテレビ番組全般の取材でビデオカメラとビデオテープレコーダ の組み合わせ、あるいはVTR一体型のビデオカメラなどが用いられ、特にロケ取材に有効で、テレビ番組制作の機動性・速報性は格段に高まった。テープの幅は1インチになり4分の3インチになり、2分の1インチになった。

これにより、3時のワイドショーは午前中10時に終わる朝のワイドショーから、放送開始ギリギリの午後3時までに起こる事象を取材するのが、最大の命題になった。

  • 1980年8月16日 午前9時31分発生、静岡駅前地下街爆発事故
  • 1985年6月18日 午後4時30分過ぎ、豊田商事会長刺殺事件
  • 1986年12月 ビートたけし「フライデー」襲撃事件

など、当時の事件が思い浮かぶ。

ところで、1982年にタモリ司会の番組「笑っていいとも!」(フジテレビ)がスタートしている。この番組はあっという間に普及したENG取材による「VTR素材を一切使わないこと」をコンセプトに始まった。出演者の力量だけを頼んだ舞台中継方式である。

舞台中継は通常テレビ番組にするとつまらなくなるが、つまらなくならなかったのは、それがスタジオアルタで起こっている生ドキュメンタリーだったからである。

ワイドショーにとっては、上述の1985年6月18日、午後4時30分過ぎに起きた「豊田商事会長刺殺事件」の生中継がまさしくそれであった。殺人事件が起きているまさにその瞬間を、多くのテレビカメラが映し出したのである。

 

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