<ノンフィクションの種:安易な街録を戒める>街頭インタビューに答えてる人は誰?

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
ノンフィクションにとって重要な方法論にインタビューがある。
今や何の考えもなしに、新橋駅前で、夜サラリーマン相手に収録するのが「お決まり」になってしまった感がある。実際にはどこでインタビューするのか、いつインタビューするのかはノンフィクション番組作りでの肝といえるのだが。
若いころはインタビューのシチュエーションをどう作るのか、そればかり考えていた。聴きたくなるタイミング、相手というのがある。それを間違えるとただの無駄話になってしまう。
満員の通勤電車でインタビューをしようとしたことがある。ヘルメットを用意し、技術に小さなカメラを準備してもらい装着した。夕方ラッシュ時に至近距離で話を聞こうというものだ。上野から高崎線に乗った。今、こんな取材はできない。許可が下りない。しかしまだそんなにうるさい時代ではなかった。満員電車の圧迫感がほしかった。テーマは東京の暮らしだった。
だがこの取材方法はあまりうまくいかなかった。レポーターは宮尾すすむさんに頼んだのだが、宮尾さんは相手が話すたびに頷く。その度に画が上下に揺れるのだ。サブカメを用意していたが、込んでいて近づけない。上野駅で乗り、浦和で降りた。チェックするためだ。なるべく頷かないでほしいと言ったが、それは無理な相談だった。ただ、小声のインタビューはそれなりの雰囲気は伝えていたと思う。よしこのまま続行しよう、ということになった。
また浦和から籠原行きに乗った。大宮を過ぎるとだんだんすいてくる。何人かのインタビューを取った。ヘルメットの必要はなくなる。乗客はみな座れるようになる。ほっとした雰囲気が伝わる。上野から一時間あまりだ。
終点の籠原駅に着いた。結局これはというインタビューは取れずじまいだった。しかしやっと着いたという実感はあった。宮尾すすむさんはダッシュした。跨線橋の上まで一気に走り、到着する客を迎えた。「お疲れ様でした、お疲れ様でした!」誰彼なく言い続けた。そしてしばらく送るとまた走り出し、改札を出て駅前のロータリーを走り回った。
駅前に迎えに来ている車がたくさんあった。若い奥さんが子供を乗せ軽自動車に乗って待っていた。そこに亭主が帰ってくる。宮尾さんは突き進んだ。この瞬間にかけていた。何の変哲もないインタビューかもしれない。だが家に帰る、小さな家庭の幸せ、疲れがすっと消える瞬間。そこにはいい表情があった。
携帯などない時代だ。毎日迎えに来ているのだろう。軽自動車が亭主を乗せ立ち去っていくのをずっと見ていたい気持ちになった。
このシーンを「そこが知りたい、東京の夜ですよ!」という番組の最終シーンとした。
 
【あわせて読みたい】