<中居正広「金スマ」が清原和博を浮き彫り>報道やドキュメンタリーでも追えない現在進行形の清原の事実を描く

貴島誠一郎[TBSテレビ制作局担当局長/ドラマプロデューサー]

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4月3日放送のTBS「中居正広のキンスマ~野球人・清原和博は今」は、清原和博が一年ぶりのテレビ出演で本人が現在の心境を語った。ドキュメントと再現ドラマで、毀誉褒貶ある野球界のスーパースター・清原和博の存在感を浮き彫りにした、素晴らしい番組でした。
甲子園を湧かせ歴代最多13本塁打の記録を持つ清原と、戦後最多勝の20勝をあげた桑田真澄のPL学園KKコンビは、1985年の運命のドラフト会議当日を迎える。巨人フロントの思惑からか、王貞治監督は投手補強を主張し、早大進学を表明していた桑田を強行単独指名。巨人スカウト陣に翻弄された二人の仲は引き裂かれる。
巨人以外の6球団に重複指名を受けた清原は、堤義明オーナー自ら引き当てた西武に入団する。高卒の四番打者として活躍し新人王を獲得、2年後の日本シリーズ対決で、王監督率いる巨人のエース・桑田を打ち込んで優勝。運命のドラフトの雪辱を果たし涙を流した。
そして11年後。長嶋茂雄監督に「僕の胸に飛び込んできなさい」と乞われ、憧れの巨人にFA移籍で入団。靭帯断裂から復帰した桑田の初登板では清原が巨人移籍後、初本塁打を放ち勝利に貢献、二人の引き裂かれた関係を水に流した。
巨人に在籍した8年間はケガにも悩まされ、期待以上の成績を残せず、人気球団故のマスコミバッシングも受け、トラブルも起こす。
戦力外通告を受けた清原は、球界再編で近鉄と合併したばかりのオリックス・仰木彬に、

「大阪に帰って来い。お前の最後の花道は俺が作ってやる」

と熱く誘われ移籍を決意するが、名伯楽の仰木はオリックス・清原のユニフォームを見ることなく肺癌で他界する。
球界最高の捕手・野村克也の持っていた通算サヨナラ本塁打の記録を塗り替える12本目を放つも、膝のケガが癒えずに、オリックス在籍3年で現役を引退。波乱の22年間の野球選手人生を終える。しかし、引退後の清原には、スキャンダルや離婚などの様々な試練が待ち受けていた…。
清原さんの半生は、まさに事実は小説よりも奇なりというほどドラマチックなもの。彼を取り巻く登場人物が実に豪華キャスト。
巨人フロントに戦力外通告をされた再現ドラマでは、後に読売巨人と反目することになる当時の球団代表だった清武英利さんのそっくりさんが、テロップなしの無言で登場しており、スタッフの遊び心も笑えました。
小さい頃から憧れていた巨人という球団が清原には冷たく感じられたのは、川上哲治・長嶋・王という生え抜きの歴史的な名選手を輩出していたからでしょう。巨人の四番という重圧には原辰徳・現監督も苦しめられ、メジャー移籍した松井秀喜選手も、すぐに巨人に戻ろうとはしません。
球団という経営側のエリート社員が伝統と数字を振りかざし、野球エリートの選手のメンタリティや現実を理解できていない構図が透けて見えます。
このところ健康不良説があった野村克也さんもインタビューに応じ、少し痩せていましたが、清原という天才打者を生活面で厳しく指導できる人がいなかった悲劇を指摘していました。平成の大横綱・白鵬にも共通する、若くしてスーパースターとなった人間特有の状況です。
ハマの大魔人・佐々木主浩投手はKKコンビと同級生。打倒・清原を目標に、低迷する横浜ベイスターズを優勝に導きメジャーでも活躍しました。「清原がいたから自分がいる」と語る佐々木さんは、苦境に陥った清原さんを食事に誘ったり、公の席に招いたりして、変わらぬエールを送り続けます。
同時代を生きたスーパースターにしか分からない、男同士の絆に泣けました。
「金スマ」は6年前にも引退直後の清原さんが出演しており、野球界に精通する司会の中居正広さんとの交流もあって実現した今回の企画。報道やドキュメンタリーでも追えない現在進行形の事実を描き、フィクションで感動を狙えるドラマ以上の感動を伝えました。
「ある特定の捉え方で客観性がない」という批判もあろうかと思いますが、再現ドラマで清原を知る元スポーツ記者を演じた平泉成さんの視点でバランスを取った構成やナレーションに説得力ありました。
清原和博よ、負けるな!そんな気持ちにさせる番組でした。何よりも清原さんの眼差しが、いつになく涼やかなのが印象的でした。
 
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