<池上彰とマツコ・デラックスの使いやすさ>歯に衣着せぬように見せて、放送局が困らない程度のコメントをする技術

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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池上彰氏とマツコ・デラックスはいまテレビの寵児である。ナゼ、こんなにテレビ界が彼らを重用するのか。視聴率が取れるからである。では、ナゼ視聴率が取れるのか。そこには2人に共通する理由と個別具体的な理由とがある。
まず、共通点。彼らは「観る人に嫌われない」。もっと消極的に表現すると「ずっと観ていても嫌悪感を抱かない」
池上氏の知識は膨大だが、これまで「知の巨人」タイプで売ってきた人のようにバックに権威が見えない。姜尚中氏や、立花隆氏、田原総一朗氏、寺島実郎氏らは、バックになにやら大学、教養、言論といった権威を感じる。
難しいことを(テレビをよく見ている人のレベルに合わせて)易しく伝えることなどには興味がない感じを受ける。これはあくまで感じの問題である。
これに対し、池上氏は、だいたい顔つきが柔和である。当たりがよい。ジャージ姿で奥さんに頼まれた大根を買っているその辺のオジさんである。思えば、つい先日まで、子供を相手に紙芝居のようなニュース解説をやっていた人である。NHKでは主流の政治部出身ではなく、事件事故を扱う下世話な社会部出身である。
政治部記者というのは、番記者ともなれば、ついた政治家と一緒に偉そうになってしまうケースがあるが、社会部記者では偉そうな態度を身につける暇もなかったのだろう。そこが、まさしく「ずっと観ていても嫌悪感を抱かない」視聴者に反感を抱かれる要素が少ないとも言える。
NHKに限らず、出る役になると、テレビ局の社内局内での人事評価は下がる。
理由は、ほとんどが出役になって有名人になったことへのやっかみである。表面に出るよりウラで操る人(フィクサー)の方が高級であるというばかげた偏見もある。余計なことを書くと怒られるかもしれないが、菅さんは安倍さんより高級であると自分では思っているに違いない。
かくして、テレビ局の出役は出世の道も狭まり選挙にでも出るしかなくなる。これも余談であるが、「ひとかどの人物」になってから選挙に出るというのは、「ひとかどの人物」になったときの仕事が、もう行き詰まったからである。
世界で何度も勝った女性柔道家、ワイドショーのキャスター、古くは立川談志師匠などがこれに当たるが、談志さんは賢明にも実は行き詰まっては居ないことに気づき、落語の世界に戻っていった。
NHKを辞めた直後に、プロデューサーに池上氏をコメンテーターにして欲しいと頼んだことがある。そのときは、

「これからは文筆に専念したい」

と断られたが、筆者は、

「ああ、池上さんは出役だったことがあるから、出役の陽炎のようなはかなさを知っていらっしゃるんだ」

と、納得したものである。しかし、それ以後のテレビでの活躍を見ると、陽炎の仲間として、太く生きている。
で、マツコ・デラックスである。
マツコも出演依頼をしてもらったが、これはいち早く実現した。TOKYO MXでマツコを初めて見たとき、

「ああ、この女装家は、世間様に反感を持たれないなあ」

と感じた。通常、女装する男には嫌悪感を抱くが、この女装家は女装という記号より巨漢、デブ、と言う記号の方が勝っている。前に出ている。
着るものもカーテンのようなワンピースしか作れない。弱みをいっぱい持っている。弱みが見えるというのは実は人に好かれる大きな要素である。
マツコはあれよあれよという間にスターになった。よく「歯に衣着せぬコメント」と評されるが、そこに池上氏との共通点が潜んでいる。正確に言うとこの2人は、

「歯に衣着せぬように見せて、放送局が困らない程度のコメントをする」

のである。これは、もう、会話の技術、芸の域に達している。
マツコが、

「キャッチャーの構えている所とは逆の方向にキャッチャーが捕れるような荒れ玉を投げてくる芸」

だとすると池上氏は、

「ストライクゾーンぎりぎりに直球を投げてくる芸」

であるという違いがある。
しかも、池上氏の芸は解説という芸であって打たせて捕る芸であるから、主張という直球はたまに投げればよい。一方、マツコの芸は回収が必要である。筆者は、爆笑問題の田中裕二を太田光の回収屋として高く評価するが、マツコの場合、田中を擁していないので、自分で回収している。
相手がジャニーズの場合などはこの回数業をやる頻度が増えるので勢いが削がれるが、そこはまだ、旬の強さでカバーして居るように見える。
池上氏は2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙の選挙特別番組『池上彰の選挙スペシャル』(テレビ東京系・BSジャパン)で総合司会を担当した。この日のように、横並びで選挙速報をやっているときには池上氏は強い。同じなら、見ていて嫌にならない人を見ていたい。病院に入院しているときはNHKの「明るい農村」が見たくなるのと同様だ。
昨年(2014)8月、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事について池上氏は、

「朝日新聞は謝罪するべきだ」

とする批判記事を掲載しようと原稿を提出したところ、朝日新聞は「掲載できない」とし、すったもんだの後、批判を受けて結局掲載に至る、という騒動あった。
これは、池上氏が投げたぎりぎりのストライクだったのだから、朝日新聞はそれを判断して受け取りさえすればよかった。誤報を発したことで朝日新聞は混乱に陥り、ストライクなのにそれを判定する審判さえ居なくなっていたのではないか。
テレビにおける池上彰氏とマツコ・デラックスの天下はしばらく続くが、こうなると筆者のような卑しいテレビマンは2人に似た人を起用したい、誰か居ないかと探し始める。予備校講師・林修氏などがそうなりかけた。でも、肝に命じておこう。

「2人は2人、他には居ない」

新しいことをやらねば、テレビは後がない。
 
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