<「戦後70年談話」こそ野党にはチャンス>戦後50年は村山、60年は小泉。70年は野党が繋ぐ?

政治経済

山口道宏[ジャーナリスト]
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今から70年前のこと。第2次世界大戦で我が国「同胞」は310万人が死んだ。最後には世界初の被爆国となり広島で20万人、長崎で15万人が死に、少し前の東京大空襲では10万人が死に、戦争終盤の沖縄では「本土」も経験しない地上戦で25万人の人々が死んでいた。
これは、分かっているだけの数字である。
同時に、その大戦は、同じく海外の幾多の軍人と民間人の死をもたらした(全世界の死者は5000万人と推計、軍人より民間人が多かった)。いずれも国を超えて、その数字は何倍もの家族、親族、友人、知人、近隣の悲しみを、不条理にも現実とした哀しい事実がある。それが戦争だった。
かつて、我が国の、どの家の鴨居にも戦死者の写真が掲げられていた。戦後10年が経っても、繁華街の路上には傷痍軍人が物乞いする姿も珍しいことではなかった。彼らは片足がなかった。片腕がなかった。戦地からそのままの軍服姿だった。
戦後50年で村山富一が、戦後60年で小泉純一郎が、過去の反省を語った。また「過去の反省なければ未来展望も重み失う」と語るのは元首相・福田康夫だ。
「過去の反省」「戦後70年の評価」「未来への展望」の3点セットは不動のものと説く。こうして党派を超えて我が国は、世界の範となるべく平和と反戦を希求する国のはずが、「戦後レジームからの脱却」といい安保法制づくりをはじめとする現政権の主張の数々は、歴史的には戦後政治の歩みを逸脱した、亜流といえる。
繰り返そう。
「戦後70年談話」は、野党が、マスコミが、国内外にしっかり発信できる格好の機会だということを。
なによりニッポンは、被爆、反戦、平和の国だから。
 
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