「小さな私」を通して大きな世界がつながるセレンディピティ
茂木健一郎[脳科学者]
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「セレンディピティ(serendipity)」とは、偶然の幸運に出会うことだが、それは見方を変えれば自分の経験というプロセスを通して世界の中で「ドット」と「ドット」が結びつくことである。
つまり、自分が触媒となって興味深い化学反応が起こる。
最良のセレンディピティは、自分にとって意義があるだけでなく、世界にとっても意義がある。自分という小さな存在を超えて、世界全体から見て意義があるような結びつきができるのが最良のセレンディピティなのである。
その意味で、セレンディピティの瞬間は、自分が限りなく小さな存在になる。世界の大きな絵が見えてくるのであって、その中で、自分が芥子粒のような存在になり、そんな自分をノードとして大きな結びつきができる瞬間がセレンディピティである。
たとえば、3Mの研究者が弱い接着剤をつくり、その使いみちがわからないでいた時に、教会で賛美歌を歌っていて歌集の中に挟まっていたしおりが落ちた瞬間に見えたセレンディピティ(付箋「ポスト・イット」の開発)においては、大きな世界の絵の中に自分が置かれていたことだろう。
ニュートンがりんごが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した時にも、ニュートンという小さなノードを通して、りんごの落下と月の周回という二つの事象が結びついた。存在としてのニュートンは、むしろ小さなものとなった。セレンディピティに向けた祈りは、「この小さな私を、世界を結ぶネットワークのノードとしてお使いください」というものだろう。自分の小ささを知っている謙虚な人の方が、大きなセレンディピティに出会いやすい。
(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)
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