<ノンフィクションの種>目立たないで生活することが叶った乙武洋匡の最高の瞬間だった

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
“際立たせる”というのはテレビの常套手段だ。限られた時間の中で表現しなければならないテレビにとってなくてはならない方法だといって良い。何気ない言葉でも意味ありげに取り出す、誇張した表現をする、それが視聴者を次の場面へ引き止めていく方法だと信じて。
大げさなスーパーテロップの多用もその心理のなせる業だろう。あまり度が過ぎるとテレビに飽きてしまうと薄々、時には、はっきりとわかっていてもやめられない。もちろん、際立たせないとわからない事柄も確かにある。
以前「五体不満足」がベストセラーになった乙武洋匡さん(1976年生まれ)の長期取材をしたことがある。乙武さんの希望は自分で自由に動けるように自動車運転免許を取りたいというものだった。当時アクセルもブレーキもハンドルもレバーひとつで操作できるという技術はアメリカにしかなかった。
アメリカ、インディアナポリスに行き、乙武さんに合わせた車を特注し運転免許を取るまでを追いかけたのだ。2時間の番組にしようとしたが結局2年の歳月がかかった。乙武さんに合わせた運転装置を作るのはそう簡単な話ではなかった。運転免許の取得は日本の自動車教習所で練習し、試験は府中の自動車免許センターで一般の人と同じように行った。改造した車を試験場に持ち込み、縦列駐車など課題をクリア出来れば合格だ。
練習が進みいよいよ仮免許試験が近づいたときだった。待ち時間があった。乙武さんは教習所の練習をお母さんが見に来たときの話を突然し始めた。突然のことなのでカメラも準備されていなかった。その結果このシーンは取材していない。お母さんの取材は何度も申し入れしていたが拒否されていた。
取材に家族は巻き込みたくないというのが乙武さんの考えだ。練習を見てのお母さんの感想は、「別に目立たなかった」ということだったらしい。うまくなったねというわけでもなく、「目立たなかったね」という感想。そのまますっかり忘れてしまうような話だったかもしれない。でも、普通の感想ではないなと感じた。なぜなのだろう。
「目立たなかった」・・・。その取材はできていない。しかし、これは際立たせるべきではないかと思った。・・・乙武さんはいつも目立っていたのだ。自分の人生では何をするにも目立つことから逃れられなかった。運動会でも、学芸会でも、学校にいるときも。目立ちたくないと気持ちがあるときも目立っていたのだ。その見られている意識を物心ついたときからずっと持ち続けていたのだ。
その乙武さんが目立たない運転ができた。うっかりするとどこにいるのかわからない運転ができたのだ。たぶん、母親にとってこれが最高の誉め言葉なのだ。目立たないで生活することを願った乙武さんの最高の瞬間だったかもしれない。このために苦労して車の免許を取ったのだ。
番組ではこの言葉を際立たせ、ナレーションの力も借りて強調した。目立たないことがどんなにすばらしいことか。乙武さんがどれだけ普通であることを望んでいたか。これで少しでも人に紛れて生きていける。運転免許を取りたいという乙武さんの実感がわかったような気がした。
撮れていないことでも、取材者の実感があれば、それは言葉にできるのだ。
 
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