「劇団うらら」旗揚げ公演「ケイコ」が魅せるイヨネスコと日舞の融合

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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「劇団うらら」の旗揚げ公演「ケイコ」は大変意欲的な舞台であった。
ルーマニア人の劇作家イヨネスコの「授業」(1950)の翻案である。舞台を日本に、教えるものを日本舞踊へと変換した。出演は日舞の花羊流の師匠に劇団の座長である三宅祐輔。同家の女中に宮嶋ゆりか、日舞を50年ぶりに習いに来る未亡人、花羊落女(はなひつじおとめ)に劇団四季出身のただのあっ子。
イヨネスコと日舞の組み合わせとくると難解なものを想像しがちだが、全くそうではない。師匠と弟子のコント、いわゆる監督コントに仕立て上げたのは、欽劇出身の脚本の川﨑龍一の手柄である。小山田譲の演出はわかりやすさを前面に押しだした丁寧さである。
師匠役の三宅祐輔は花柳輔蔵を襲名した本物の舞踏家である。その日舞の技を持って弟子に指導をする一幕の舞台は非常な可能性を秘めたものであった。何しろ日舞が本物であるから、演劇上で披露されるその姿が大変美しい。
教える日舞は清元の「北州」である。
「北州」とは、言うまでもなく吉原の遊里のことで、江戸の北にあたるのでこう言ったのであるが、「北州」の歌詞自体の解題が舞台の物語になっているので多くは語らない。
気になった点がいくつかある。
まず、花羊落女が50年ぶりに稽古をつけてもらおうと思ったのはなぜだろう。その理由が弱い。そして、習い始めた「北州」。花羊落女は名の通り、名取りであるが、この踊りを初めて習うのだろうか、それとも一度さらったことはあるが
意味は分かっていない設定なのだろうか。おそらく後者であることは うすうす分かるが、それを台詞ではっきりしておいた方が、客が疑問を持たず、のちの芝居をより笑ってみられるようになるのではないか
イヨネスコの原案は「教えることの欺瞞性を鋭く突く」「授業という行為の演劇性を提示する」「教師という一種の芸人(つまり生徒の前でさびすするという意味において)演じる虚構」等(小田中章浩氏のHPより)と、解説されるが、筆者は、この「授業」という行為には「狂気」がはらんでいると言うことではないか、と考える。
一方、この舞台で教えられる日舞自体にも、ある種の「狂気」が潜んでいるのではないかと考える。さらに取り上げる清元「北州」の舞台吉原も傾城太夫お女郎と持ち上げらも春をひさぐ苦界である、苦界は即ち「狂気」である。吉原の掟を破った遊女は素裸にされた上に荒菰(あらごも)に包まれ、千住の浄閑寺に投げ込まれた。
「授業」は「狂気」であり、「日舞」は「狂気」であり、「北州」即ち「吉原」も「狂気」であるとなると、すべてが「狂気」で繋がる。この「狂気」の繋がりを見せるのに最もふさわしい形式は「序破急」ではないか。「序破急」には「狂気」が潜ませやすいからだ。
「序破急」を単なる三幕構成のことと考えてはならない。雅楽では曲を構成する三つの部分。「序破急」三つの字の意味を考えれば良いわけだが「序」が無拍子かつ低速度で展開され、太鼓の拍数のみを定めて自由に奏され、「破」から拍子が加わり、「急」で加速が入るのである。
つまり、これこそ今回の劇団うららの舞台に導入すれば良い芝居の進行のリズムではないかと僕は考えたのである。もっと端的に言うと三宅祐輔の最初の花羊落女への突っ込み(指導)は、もっとゆっくり、言葉は短めに。
公演は13日まで。
 
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