<創造性と時代精神>モーツァルトと同じ音楽を今書いても評価されない


茂木健一郎[脳科学者]

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<時代精神について>

「空気」には、自分がいるコミュニティの空気というローカルなものもあるが、さらには時代の空気のようなものがあり、後者を読むのはクリエイティヴな行為である。

もともとはドイツ語で、英語圏でもしばしば使われる「Zeitgeist(時代精神)」を読むことは、どの時代においてもその文脈の中で新しいことをやる際に助けになるし、時には必須である。

「時代精神」は、一方では古いものの維持からなり、一方では新しい要素の導入からなる。古さと新しさが混じり合った独特の「カクテル」が、一つの時代精神をつくる。

「時代精神」は、既成のマスメディアを見ているだけでは伝わらないことも多い。それは、フロンティアを走る特定のコミュニティに顕れることがある。そのローカルな精神が次第に広がって時代精神になるのである。

【参考】創造するためには「もやもや」から逃げてはいけない

ツイッターやフェイスブックなどのSNSからも、時代精神が読み取れることがある。時代精神の感受は一種の推測ゲームであり、必ずしも一つの「読み」があるわけではない。かといって全く相対的であるわけでもない。

「時代精神」は直接の同化圧力というよりは、「天気」の予報のようなものである。往々にして、時代精神を読むこと自体が、非常に創造的な行為となる。時代精神は、過ぎ去った時代について初めて確定することもある。

<時代という造山運動>

ローカルな「空気」は、読んでも特に従わなくていいが、「時代精神」という大きな空気については、精確な読みが求められる。そうでないと、自分の活動を文脈づけることが困難になる。

モーツァルトと同じ音楽を今書いても評価されない。創造性はその時代の文脈の中で価値が決まる。それを無視してやっても、アナクロニズムになりかねない。

マルセル・デュシャンの『泉』と似たような作品を今つくっても、それは模倣に過ぎないだろう。『泉』は当時の時代精神という「空気」の中でこそ輝いたのであって、その意味で、時代相対的なものである。

【参考】もったいぶった大人ほど「創造性」から遠い

従って、すぐれた創造者は、常に、時代という大きな精神の動きに注意を払っている。それは、一つの、時代に対する「マインドフルネス」である。広々とした景色の中に、さまざまなものの動きを鮮明にとらえているのだ。

時代という、巨大な造山運動の中で、自分の活動がどのように位置づけられるかを見ることが、創造性の質の作り込みにおいては不可欠だということになる。

だから、創造者は、時代を構成するさまざまなものたちの様子を、隅々まで気を配って観察していなければならない。そうでないと、1001回目の『泉』をつくって自己満足する結果になってしまうのだ。

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。