映画『君の膵臓をたべたい』が全く泣けない理由【ネタバレ注意】

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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筆者にとって「何か特別な理由がなければ絶対に見ない映画」にジャンル分けされるのが、『君の膵臓をたべたい』である。
その日、筆者は渋谷で開催された日本放送作家協会主催の『東京作家大学』の講義を2つ受けもつ予定があった。ひとコマ目が終わると次まで3時間半の空き時間がある。そこで東宝シネマズに行ってみた。時間的に見られる映画は2つ。『怪盗グルーのミニオン大脱走(吹替版)』と『君の膵臓をたべたい』である。
ようは二択なのだが、筆者は洋画を日本語吹替で見る趣味はない。頭の中が違和感だらけになる。そうなると、『君の膵臓をたべたい』を見る他ない。そんな選択肢なき経緯が今回、同作を視聴した「特別な理由」である。
さて、開映の時刻間際だったので取れた席は前から2列目。場内はJKで満席。爺の筆者は相当場違いであった。本屋大賞の2位だったという原作は読んでいないが、「号泣必至の映画」というのが謳い文句である。
しかしながら、結果としては、筆者は全く泣くことはできなかった。もちろん、泣いているJKも多かったので、もしかすると筆者が特別なのかもしれない。よって、以下は筆者の個人的に感じた感想である。
まず第一に、『身近な人が死ぬ』という設定に違和感を覚える。人が死ぬのは悲しいのがあたりまえである。悲しいのがあたりまえの設定で人を泣かせる作品なのだ。これを主張するのは制作者として安易すぎる。
【参考】マーティン・スコセッシ監督『沈黙』神をどう見るのか?【ネタバレ注意】
次に、映像が汚い。こういう映画はピンがきちんとあった綺麗な映像「ヌケ」が必要だと思う。ピンが合っていないのは興ざめである。「ヌケ」の綺麗なJK映画として筆者は中原俊監督、つみきみほ主演の1990年版『櫻の園』をあげる。
何を思ったか中原俊監督は2008年、同じ『櫻の園』を福田沙紀主演でリメイクしているが、これは、最低の駄作であった。同じ『櫻の園』なのに、これだけ差が付く原因のひとつはカメラである。2008版は「ヌケ」が最低なのである。もうひとつは役者の実力の違い。つみきみほと福田沙紀の差である。
『キミスイ』(「君の膵臓を食べたい」をそう略称すそうだ)のヒロイン・浜辺美波は残念ながら福田沙紀の方であった。膵臓の病気で余命1年という咲良(浜辺美波)は、「仲良しくん」と名付けたクラス一目立たない男・北村匠海にわがままな要望を出しては振り回す。
なぜそれらを強要できるかというと「余命1年」だからである。「ただの余命1年ではなかったこと」が後半明かされるが、それを聞いても筆者は「余命1年」をかざしてわがままを言う中二病の女にしか見えなかった。
だから、泣けなかったのである。
泣くためのきっかけの映像としては「北村匠海の号泣シーン」。結婚式当日、ウェディングドレスを来た「北川景子の花嫁の号泣シーン」が用意してあったが、悲しいから泣くのではなく、俳優が泣くから悲しいのだとしか思えなくて、やはり泣けなかった。
ネタバレになるから経緯は書かないが最後のシーンで、北村匠海が成長して国語教師になった時点の役を演じる小栗旬が花嫁の北川景子に勇気を振り絞って声をかける。この時のセリフは「僕の友達になって下さい」なのだが、このセリフを聞いて笑うか泣くか、その辺がこの映画に好評価を与えるかどうかの分かれ道だ。
ちなみに筆者はこのセリフを聞いて笑ってしまった。
この映画で泣かない筆者は人にアラズ・・・という評もあろうが、泣かない自由も下さい。
 
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