ラーメンズ小林賢太郎のコント舞台「カジャラ『裸の王様』」が全く笑えない理由

映画・舞台・音楽

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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ラーメンズの小林賢太郎が作・演出を手がけ、自らも出演する舞台「小林賢太郎テレビ PRESENTS カジャラ『裸の王様』」をNHK BSプレミアムで見た。しかし、全く笑えなかった。
出演は小林賢太郎(44歳)、辻本耕志(40歳)、菅原永二(43歳)、竹井亮介(45歳)、久ヶ沢徹(55歳)。役者あり芸人あり、作・演出の小林が選んだメンバーである。3カ月41公演を乗り切ったというのだから、それはそれで偉い。一定のファンが付いているのだろう。
しかし、この舞台を見て、筆者はすごく不思議な感覚になった。自分は全く笑えていない舞台を見ているのに、観客は笑っている。「なぜ笑うのだろう」とわからなくなってしまったからだ。
【参考】<芸人依存の弊害>お笑い番組はなぜ笑えないのか?
「このギャグが分かる私はエライ」という構えで、舞台を見ることがあるのは分かる。「笑点」とか、駄ジャレとか、吉本の芸人とか、そういう人のやる笑いではなく「小林賢太郎で笑える私は知的だ」「小林賢太郎のアートな笑いを理解する自分はイケてる」と言う笑いの見方もあるのだろう。
でも、この舞台は知的だったろうか。芸術に近かっただろうか。ダジャレでも、変な恰好をしても客は笑う。

「別にこれで笑わなくていいんだよ」
「他人に合わせなくていいんだよ」

と、舞台を見て笑っている観客たちを見て筆者は叫びたくなった。
コントの命は設定である。その設定に観客を引きずり込めば笑いはとれる。この設定は、日常には絶対ないような変な状態であるのは構わないだろう。その設定になんらかの方法、役者の力量などで客を引きずり込めさえすればいいからだ。
だが、小林賢太郎のコントはその努力を全くしない。
だから、ただ変なだけだ。不条理とか、ナンセンスとかは、ごくたまにすごく可笑しいことがある。しかし、彼らのコントがそれを目指しているとも思えない。
彼らはきっと台本上で「ここは笑うはずだ」と意図したところで、笑いが来ないということをたくさん経験しているのではないか。逆に意図していないところで笑いが来ることもたくさん経験しているのではないか。
どんな舞台でも通常、公演を続けるうちにそれらは修正されていくと思う。だが、彼らの舞台はそれを行っていないような気もする。あくまでも台本どおり。どんなときにも台本どおりやり続けられる彼らの心は強い。
「おもしろい」にはいろんな種類があると小林は言っていたが、もしかしたら、彼らが目指しているのは『とにかく笑える舞台』ではないのだろう。だから筆者のような者には全く笑えなかったのかも知れない。
 
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