<事件現場にいる「近所の人」って誰?>関係者のひととなりを全て見通す「洞察力のある人々」の不思議


高橋秀樹[放送作家]

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殺人事件などが起きると、テレビの情報番組スタッフは、加害者や被害者の人となりを取材するために現地にとぶ。人材が限られているので、同時に事件が起こると、両方には人を出せない。編集長はぎりぎりの選択を迫られる。

AD(アシスタント・ディレクター)が現場の住宅地図や、事件の新聞紙面のコピーを集めて取材ディレクターに渡す。あわただしくチケットを取って東京駅に向かう。その間に残った編集長は、報道局の社会部にディレクターが現場に行ったことを知らせる。取材で協力体制をとる必要があるからでもあるが、それ以外にも理由がある。

もうひとつ連絡するところがある。当該現場をエリアとする地方局の報道制作部である。こちらも人は少ないので報道と制作は同じ部であることが多い。これは、いわゆる“仁義きり”である。お宅のシマで、うちの若い者が動き回りますという挨拶だ。

報道局や、地方局は、情報番組のディレクターが、取材に回ることを“現場を荒らす”といって嫌う。味方同士なのにどういうものかと思うが、近親憎悪はありがちなことだと思えばわかりやすい。昔は確かに情報番組が強引な取材をして、以後の取材をやりにくくしたということもあった。

さあ、取材だ、一番は「がん首」をとる事。写真の入手だ。何よりもこれが優先される。

店舗などの防犯カメラ映像の入手というのも仕事だ。たいてい警察が先に持って行っているが、警察が映像を入手していること自体が情報だ。その店に何らかの関係者の動線が含まれている可能性があるからだ。

続いて人となりの取材。親や親戚が見つかれば良いが、そういう人は見つかってもなかなか答えてくれない。意外と答えてくれるのは祖父母。

この情報を入手するのに効率がよいのが、近所のクリーニング屋や、新聞配達店。会話を交わす可能性の多い個人商店だ。これが今はなかなかない、コンビニになっているからだ。コンビニの人はたいてい答えない「本部に聞いてから許可をもらわないと答えられません」徹底している。

そんなときは、頼れるのは「近所の人」と呼ばれる人々だ。しかし、この「近所の人」という存在は、なんなんだろう。

「やさしいひとでしたよ」・・・何か優しくされた体験を持っているのだろうか。
「挨拶とかきちんとして」・・・何回挨拶したんだろう。
「仲の良い家族ですよ」・・・そんなこと簡単に断言できるのか?

こう見ると、「近所の人」というのは、きわめて、洞察力のある人々になってしまう。

テレビや新聞のニュースは、こうした、「洞察力のある人々」のおかげで成り立っているが、そんなことでよいのだろうか?とも思う。自分の家の近所に、そんな「洞察力のある人々」が多いようにも思えないのだけど・・・。

 

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