<コントは設定が命>「役者がやる芝居コント」大森カンパニーのすごさ。

高橋秀樹[放送作家発達障害研究者]

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「医者と警察のコントは厳禁ね。書いても採用しないから」

そう、強面のプロデューサーに言われてコントを書き始めて、もう41年ほどになる筆者である。医者と警察のコントがだめな理由は、ほうっておくと作家が書いてくるコントがそればっかりになってしまうからだ。医者や警察は切羽詰まった状況がよく起こる場所だから、設定が作りやすい。作家は怠け者なので、員数合わせのコントなど書くときは楽しようとして、だから冒頭のような注意になる。

昨今のドラマも医者と警察のものばかりだが、「医者と警察のドラマはもういらないよ」とドラマのプロデューサーは言わないのだろうか。

コントは設定がその生命、骨法である。設定さえうまく考えればあとのセリフは転がってゆく。つい、夢中になって台詞を書き始めると、長々と書くことになって筆者は欽ちゃんこと萩本欽一にこう言われた。

「おメェのセリフなんか言わないよ。設定さえ考えてくれればあとはオレたちが体でセリフを作る」

そういえば、70年代、筆者たちは、口立てで芝居を作るつかこうへいの芝居に夢中になったが、そのコントのような芝居(褒めているのである)の基礎を固めるために、役者は「コント55号」や「てんぷくトリオ」(作者は井上ひさし)の設定を借りて、稽古をしたと、伝記に書いてあった(「つかこうへい正伝」新潮社)。55号やてんぷくの設定ならたしかに、口立てで台詞を作っていくのに好都合である。

【参考】劇団・大森カンパニー『あじさい』で下北沢劇場双六が「上がり」

前置きが長くなったが、言いたいことはコントは設定が命だということである。ありえないけど、ありえそうな設定というのが一番優秀だろう。

「役者がやる芝居コント」を引っさげて、いま一番面白い、大森カンパニーの更地SELECT「SAKURAⅢ」を下北沢小劇場B1で見た。

「博士(山口良一)が、1分後に行けるタイムマシンを発明した。助手(大森ヒロシ)は疑っている」

現実ではありえない設定である。SFなら、ありえないと思わせない工夫がなされるだろうが、コントではそうではない。客がありえないと思った瞬間に笑いをかぶせてゆく。ありえないと思うスキを与えないように行き着く間もないほどの密度で笑いをのせてゆく。だから彼らのコントでは客席が波打つように笑う(更地11「時空博士」)。

「春日部に住む娘の萌(良田麻美)が、一人で東京に出たいと父(大森ヒロシ)と母(かんのひとみ)に懇願する」

こういう普通の設定のときはその後に意外な展開が必要だ。この劇団はアクションも素晴らしい(更地11「萌ちゃんお願い」)。

「NASAの管制官(今拓哉)と、チーフ(大森ヒロシ)、博士(金月真美)が帰還困難の危機に陥った宇宙船を必死に連絡を取ろうとしている。無線が通じない。しかし、女性の博士は離婚と不倫問題を抱えていて・・・」

何もこの劇団が役者だけで編成されているから言うのではない。コントをやるものは演技ができなければならない。芸人のコントが今ひとつぐっとこないのは芝居が下手だからと筆者は考える。上手だと思うのはインパルスの板倉俊之くらいだ。

この劇団は客演によく声優を迎える。今回は金月真美(『ときめきメモリアル』ヒロイン藤崎詩織の声)。かつては田中真弓(『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィの声)をむかえた。声優が声優である前に俳優であることを感じる。金月も田中もむずかしい芝居を余裕の演技でこなす(更地10「宇宙と私」)。

「駅伝部が飛躍を狙って新しいコーチ(三宅祐輔)を迎えた。そのコーチが一風変わっていて・・・」

本物は強い。本物は見ていて飽きない。三宅は花柳流の名取である(更地12「山梨学院」)。

全部で13のコントで成り立つ今回の舞台。最後は全員が楽器演奏と歌のファンサービス。これはご愛嬌。

 

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