<パソコン遠隔操作事件>バーチャル空間で緻密なシステムを組む容疑者はリアル世界では稚拙だった

デジタル・IT

高橋秀樹[放送作家]
2014年5月23日

 
パソコン(PC)遠隔操作事件の片山祐輔被告(32歳)を見ていると、バーチャルの世界とリアルの世界での振る舞いの違いが目に付く。
バーチャルの分野では実に緻密で巧妙な遠隔操作のシステムをくみ上げ犯罪に手を染める一方で、リアルの分野では猫の首にメモリーをぶら下げたり、保釈中に、予約送信を仕込んだ携帯電話を河原に埋めたり稚拙で子供じみているのである。
母親が払った保釈金1000万円で保釈されている間、これは泳がされているのであって、きっと尾行がぴったり付いていることに想像力が及ばない。
片山被告は愉快犯である。自分のIT技術は誰にもできない高度なものであるが、それを披露する場がない。それを認めてくれる人がいない。褒めてくれない。それは我慢のならないことである。
self-efficacy(セルフ・エフィカシー)という心理学用語がある。あまり上手な訳ではないと思うが、自己効力感と訳されている。これは「人間が生きてゆくには、自分以外の人に褒められ、認められている感じることが必要だ」という意味である。
片山容疑者は、これを感じることがなかったのではないか。感じたいから遠隔操作に手を染めたのではないか。 よく「勉強するのは自分のためだ」という。では「仕事をするのは自分のため」だろうか。
僕は自分のためだけでは仕事のモチベーションがあがらないことがある。誰か他人のためだったり、テレビ番組をつくる時だったら 、見る人のためだと思わないと意欲がわかない。自分のためだけでは動機は維持できない。「他人のためにがんばる」のは「褒められたい」からかもしれない。つまり、これは変形の自己効力感なのではないか。
進化生物学者によればヒトは自分という個体を生きのびさせるためだけに合理的な行動をとるのであって、集団や共同体のことなどは考えていないという。個人の利益を最大現にする活動が、結果的に集団や共同体のためになっているだけだというのである。これは明快な理論だが、受け入れたくない自分も存在する。
片山被告の弁護団は「言動に理解できないところがある」として、精神鑑定を要求するとしている。精神科医が下す診断は想像がつく。その障害を前面にだして弁護団は減刑の法廷闘争をするだろう。すると、障害が片山被告をつくったのではないかと、人は思ってしまう。もちろん、その障害があっても必ず片山被告が生まれるわけではないではないのだが、特異な犯罪だけに人々の印象には残りやすくプロトタイプ式に誤解は広がってゆく。
障害を直接的に犯罪に結びつけてはならないように、バーチャルの世界とリアルの世界はシームレスにつなげてはならず、その間には手動で動く大きなON・OFFスイッチが必要だ。
 
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