<盲導犬フォーク刺傷事件を伝える責務>事件がメディアに流れることで類似事件を増やす危険性

社会・メディア

藤沢隆[テレビ・プロデューサー/ディレクター]
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15年も前に亡くなった知り合いのおじいさんがこんなことを言っていました。

「昔っから犬なんてもなァ、人様の家来だ。番犬もそうだし、ご主人さまをお守りしますってなもんだよ。散歩だって犬はご主人さまのお伴だ。そんで、むこうから乱暴者の犬が来たりなんかすると、それまで電信柱に片足あげてクンクンしてたやつが急にご主人さまの前にすくっと立って、その乱暴犬にむかって吠えたり、ヒットアンドウエイで噛みつきに行ったりなんかして、必死でご主人様を守るン。
乱暴犬がしっぽ巻いていなくなるてぇと、ご主人の顔をちょっぴりテレくさそうに見上げちゃぁ、“どうです、こんなもんでよろしかったでしょうか?”なんて顔して尻尾振ってやがんの。昔の犬は、矜恃っていうか、自分はご主人さまにお世話になってますんで、なんとしてもご主人さまをお守りします、っていう了見が座ってたね。
ところがどうだい昨今は。犬なのに猫っ可愛がりして。散歩だって、犬のお散歩にご主人様がお伴してるン。向こうから乱暴そうな犬が来るてえと、犬は怯えてご主人の後ろに回って隠れたりして、ご主人をお守りしますなんて了見はこれっぽっちもありゃしない。
人間さまの方も犬ゥ抱き上げて、“大丈夫、大丈夫、怖くないヨ”、なんて犬に猫なで声だ。糞の始末をするのはけっこうだけど、こうなったのは、人間様の方の犬に対する了見が変わっちまったもんで、それにつれで犬の了見も変わっちまったんだろうなあ。」

じいさんのなげき節を思い出したのはある事件を知ったからです。
盲導犬が何者かにフォークのようなもので刺された事件。それでも鳴き声の一つもあげずにご主人のために仕事を続けたオスカーくんという盲導犬の了見にはあの世のおじいさんも、あっぱれ!  と叫んでいるに違いないありません。
この事件が世間に知られるようになったのは新聞への投書から。しかし投書した人には相当の葛藤があったようです。こうした事件が知られるようになると、却って類似事件が増えるのではないかという心配があったからです。
驚いたのは、盲導犬を伴う人間の目が見えないことと、盲導犬が無抵抗なことをいいことに、盲導犬に対する乱暴やいたずらをする卑怯な輩が想像以上に多いという事実です。盲動犬の体を傷つける、蹴飛ばす、ガムをくっつける、つばを吐きかける、油性ペンでいたずら書きをするなどなど・・・、それも月に何度というような頻度で。
こうした、どこか陰湿ないじめのような行為をする人間の了見には心底腹が立ちます。一方で、事件が知られることによりマイナス効果が生まれてしまうおそれをメディアも肝に銘じなければなりません。
もちろん今回の事件を伝えない方が良いなどというようなことはありえませんが、メディアが伝えたことで、かえって盲導犬に対する加害行為が増えたなら、そこにはメディアの責任も生まれるはずです。
メディアはこれを腹の中に飲み込みつつ、腰を据えていろいろと伝え続けるのがメディアの了見ていうもんだと、あの世でおじいさんが言っているような気がします。
 
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