<APECの朝、北京の空は青く晴れていた>不都合をかき消すためには住人の生活への影響も顧みない中国

海外

藤沢隆[テレビ・プロデューサー/ディレクター
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APEC(アジア太平洋経済協力会議)の朝、北京の空は青く晴れ渡っていました。
信じられないほどの大気汚染が常態化している街の空気を浄化するために、首脳会合などが開催される2014年11月7日~12日に開催にあわせて、一部工場の操業や建設工事の休止、自動車の市内乗り入れ規制のほか、救急を除いた病院の休業や学校の休校、爆竹・花火はもちろんお寺のお線香まで禁止された・・・などとという話がネット上に出ていたりします。
APECを成功させるために中国当局がとったなりふり構わぬ対策に、北京とその周辺地域の住民の生活は大きな影響を受けたようです。
30年以上前、戦後初の中国東北部(旧満州)取材団として、筆者は北京から大連に向かう夜行列車に乗っていました。取材団の我々はゆったりとコンパートメントを与えられていましたが、春節前の列車は乗客と荷物を詰め込めるだけ詰め込んで超々満員です。
乗客だけでも乗り切れない人が大勢出るくらいなのに、彼らが持ち込んだ荷物が半端ではありません。それぞれが布団袋ほどの大きさの荷物を二つ三つと持ち込んでいるのです。
それは網棚からはみだし、通路にもあふれ、その上に人が乗り、座席に座る人と人の間にも積み上げられている状態でした。真冬だというのに車内はものすごい人熱れで倒れる人が出るのではと思われるようなすさまじい状況でした。
ディレクターであった筆者は当然ながらこのシーンをどうしても撮りたいと思いました。中国の状況と人々のエネルギーを表していると感じたからです。
予定外の取材項目ではありましたが、同行する中国広播事業局(当時)の劉さんというお役人に、列車の最後尾まで車内を撮影したい旨を伝えました。
すると劉さんから、

「暫時お待ち下さい。」

とのお返事。劉さんはすこぶる陽気なオッサンという感じの初老の方ですが、使う日本語にときどきとても古い言葉が混ざります。“暫時”なんて言葉は30年前の日本でもほとんど使う人はいません。
急な依頼で無理かなと思っていたのですが、2時間ほどたって劉さんがあらわれ、“どうぞ”とのこと。
では、とカメラを先頭に一般客車(硬座車)に入ってびっくり仰天!、なんと通路にあれほど溢れかえっていた人と荷物が忽然と消えているではありませんか。人は向かい合わせの座席にきちんと4人づつ座り、荷物は網棚の上にきれいに整頓されています。
車内は整然として、話し声ひとつなく静まりかえっていました。次の車両もそのまた次の車両も、結局最後尾の車両までコピーされたかのような整然とした車内に変化していました。劉さんの言う“暫時”の間に。
いくら中国でも、“暫時”にあれだけの人と荷物を同じ列車内に隠すなんて芸当が出来るわけがありませんから、真夜中のホームに多くの人と荷物が強制的に降ろされたに違いありません。
外気温は零下10度~20度ですから、我々の撮影のために多くの方にとんでもないご迷惑をおかけし本当に申し訳ないと思いました。そして、カメラマンをはじめとする技術スタッフは、事実をむりやり隠すためにはそこまでやるのかと怒りがおさまりませんでした。
何日か後、大連の港を撮影していました。ソ連軍に追われた日本人たちが命からがらたどりつき、日本への帰還船を待った望郷の港です。桟橋沿いに一本のレールが走っていました。
もしここに蒸気機関車が走ったらとても哀感あふれる画になる、と思いました。たまたま劉さんが側にいたので、まったくの冗談で、「劉さん、ここに蒸気機関車が走って来たらすばらしいシーンですね。」と言ったら劉さん、冗談とは思わなかったらしく、

「暫時お待ち下さい。」

と、どこかへ消えて行きました。
そして小一時間、近くのビルの屋上から大連港全体の俯瞰ショットを撮っていた取材団たちの耳に、ピーッという遠い汽笛が聞こえました。なんと蒸気機関車がやってきたのでした。
その後、私たちが瀋陽、長春、哈爾浜と撮影を続ける間、予定外の撮影を申し出るたびに劉さんは、

「暫時お待ち下さい。」

と言い、ほとんどすべてを実現してくれました。
ただし、劉さんには“暫時”という時間が必要のようでした。たとえば活気あふれる商店街の雑感を撮影する場合でも、その地域の警察官などを配置する必要があったようなのです。
明らかに公安警察と思われる私服警察が20人~30人規模で筆者たち取材団を遠巻きにしているのがわかりました。しかし、軍事関連施設を除けば、柳条湖事件現場や旧満鉄施設を含め、ひとつとして取材規制というか撮影禁止と言われることはありませんでした。
北京に戻って、ながく北京に暮らすある要人と食事した時に、これらの話をしました。とりわけ列車内での出来事について。
その要人は、こう言いました。

「撮影されたくない事実を隠したということもあるかもしれません。中国人はメンツを重んじますから。でも、心から客人をもてなすというのも中国人です。ですから、日本から取材に来られたみなさんの安全を守り、取材の目的をなんとか果たしていただこうとする、せいいっぱいのチャイニーズ・ホスピタリティだったのかもしれませんね。」

筆者には、劉さんの「暫時お待ち下さい。」が、そのどちらだったのかわかりませんでした。
それから30数年後の北京。
市民にかなりの犠牲を強いる強引さで空を青くしたのは、チャイニーズ・ホスピタリティだったのかもしれません。でも、安倍首相を迎えた習近平国家主席のご様子、あれは明らかにメンツの方で、チャイニーズ・ホスピタリティのかけらもなかったように思います。
 
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