ワイドショーのコメンテーターの条件は①情報を持つ人②笑いの取れる人③気の利いた人


高橋秀樹[放送作家]

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「文藝春秋」の2014年11月号に、関西大学の社会学者、竹内洋名誉教授が「ワイドショーいかがわしさの正体〜社会が悪い、政治が悪い〜テレビコメンテーターの化けの皮を剥ぐ」と題した一文を寄せている。

内容は誠に的を射たもので、久しぶりにテレビ批評の泰斗、ナンシー関氏に再会したような痛快さであった。

筆者は放送作家として10本以上のワイドショーを構成し、一方で「ワイドショーであっては決してならない」というような使命を帯びたテレビ番組を立ち上げ、ワイドショーとは腹違いの兄である報道ベルト番組を担当し、ワイドショーとは何の関係もないバラエティ帯番組の作家でもあった。

竹内氏の一文の屋上屋を重ねることにならぬよう、筆者なりの見解を述べさせてもらう。

まず竹内氏の一文の勘所を箇条書きで引用しよう。(以下引用)

  • 元スポーツ選手や芸能人のコメンテーターが経済や政治に言及するのは筋違い。でもこれは井戸端会議であるからテレビ局は百も承知でやっている。
  • テレビコメンテーターの井戸端会議化に引きずられて、専門家もその色に染まってしまう。
  • 専門家であろうが、コメンテーターは真面目風で教科書適正論。正義を口にする。これは一皮剥ぐといかがわしい。コメンテーターの問題発言は局アナなどの中和剤がフォローする。
  • テレビ局に重用されるコメンテーターはテレビ的な規制ギリギリを狙ってくる。
  • コメンテーターの上から目線の大衆批判はご法度である。
  • コメンテーターはちょっと右もダメ
  • コメンテーターの事なかれ話法は公的な場所での定形話法となってしまうのは、よくないことだ。

これらすべての意見に、全く異論がない。そのとおりだと思う。

ワイドショーでは決してあってはならない番組「はなまるマーケット」(1996〜2014・TBS)を立ち上げた時、最初にやったのは、

  • 「リポーターという職名を廃止すること」
  • 「コメンテーターの起用を止めること」

の2つであった。コメンテーターはワイドショーらしさの最たるものだからである。

さて、ここでワイドショーのコメンテーターについて筆者の持論を紹介しよう。これは、何度も繰り返し言っていることだが特にワイドショーの場合、出演者として必要なのは「仕切ることで存在価値のある人」と「そこに在ることで存在価値のある人」の2種類しか居ない。それ以外の人はいらない。

コメンテーターは2番めの「そこに在ることで存在価値のある人」に当たる。つまり、キャスティングにあったて考えられるコメンテーターは、①情報を持った専門家、②笑いの取れる人、③気の利いた/時に毒ぎりぎりの印象批評が言える人、である。

視聴者に印象批評を聞いてみたいと思わせるタレント力があればなおいい。

①は、その時々のネタによって選定されるから人事は事欠かない。ただ。竹内氏の言うように右はダメ、政権批判も深いどころはダメである。

②は、ビートたけし。太田光などだが、たけしは笑いではもう、面白さが伝わらなくなった。それで失敗していたのが初期の「ニュースキャスター」(TBS)である。大田は尖っているが、大人にはウケが悪い。

③は、テリー伊藤、マツコ・デラックス、壇蜜もここに入る。そしてやはり、ビートたけし。そして、ピカイチはみのもんた。みのは「仕切ることで存在価値のある人」に分類されると思う人もいるかもしれないが、そうではない。むしろ、印象批評の大家といっても良い。

テレビは今、そこで「何かが起こっているから見る」のではなく、これから「何かが起こりそうだから見る」のであるが、そういった意味でも、みのもんたは、得難い存在なのである。みのはさらに基本的には何が多数意見かを感じ取り必ずそちら側に立つという動物的嗅覚を持っている。一度の失敗を除いてだけれども。

古舘伊知郎が、最近鼻につくのは「仕切ることで存在価値のある人」に自分を律しきれなかった饒舌のためである。

テレビの視聴者には実にいろんな興味関心をもつ人がおり、それはクラッシック音楽だったり、考古学であったり、ステンドグラスであったり、高尚な趣味の人がいる一方で、全くそれに反する興味関心をもつ人もいる。

テレビは視聴率を取ることが第一のビジネスモデルであり、それを実現するにはできるだけパイの多い興味関心に的を絞らなければならない。その結果、おしなべて人が興味関心を持つ対象に収斂してゆく宿命を持っている。

それはなにか? 簡単である。

かの精神分析の創始者フロイトが、既に19世紀に喝破したとおり、それはエロス(性衝動)と、タナトス(生・死・暴力への欲動)である。精神分析は、今や臨床では役に立たないとさえ言われる学問だが、こうした人間観察では深いところで正解を出していたのである。

テレビではもちろん規制があるから、それはソフトエロスであり、ソフトタナトスである。

ところで、テレビのコメンテーターとして、最も必要がなく唾棄すべきなのは「職業がコメンテーターの人」である。番組で何を言おうか考えてこなくても「流れに乗って喋っていればなんとかなる」と軽く考えている人もいるが、テレビとは、そういう人はすぐに淘汰される厳しき世界でも在る。

 

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