しばらく奥崎謙三のことは忘れて「市井の人々」に目を向けてみよう。


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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狙いに沿って呼びかけを始めた。

「あなたの人生でやり残したことありませんか?」

これだけはキチンとやってから逝きたいって思っていることがあれば、私たちと一緒にやってみませんか? と。だが、ことは思惑通りに進まなかった。人口8万人いる市だもの、二人や三人はいるだろ、と思っていたのだが志願する人はゼロだった。ガックリ。こんなにノリの悪いところで“地域活性化”なんて無理だよ、とすっかりむくれてしまった。

焦った地元のスタッフたち自身が探そうと動き始めた。その努力の甲斐あって「こんな人がいるんですけど…」と候補の人の情報が集まり始めた。その経過の説明は省略、結果をいうと……。地元に「八幡堀」という時代劇のロケに頻繁に使用されるお堀があるが、そのお堀回りを毎日、365日、一日も欠かさず清掃している人。

琵琶湖に近い近江八幡市には昔は内湖がたくさんあって、今は老人になったが子どもの頃は、その内湖に舟でこぎ出して舟の上で家族全員ですき焼きをしたこと。それを再現したい人。かつての企業戦士たち、定年退職した今、過去の地位を一切問わずに、みんなで集まって料理を作って楽しもう、という「親父の料理教室」のおじさんたち。

中国大陸で赤ん坊が生まれたが、敗戦濃厚になりソ連が参戦してきて逃げ回る羽目になったが、その途中で生まれたばかりの赤ん坊が死なせてしまい、とりあえず草むらに埋めて日本に命からがら引き揚げてきたものの、戦後も罪悪感を持ち続け、この映画作りをきっかけに大陸を訪ねて、改めてキチンと供養をしてやりたい、という元小学校の先生だった女性。ほかに2つ合わせて6話のオム二バスという形でいくことに決めた。

前回、何故、私が“地域起こし”“町起こし”のプロジェクトに関わったかという真意についてハッキリと書かなかった…が、平成へと時代が変わった今、新しい“ヒーロー像”を見つけるため、出会うためであることは、この私の連載を読んで頂いている人なら分かってもらえると思う。

が、何とか、6つのエピソードとして撮ることを決断したものの、心底、納得したわけではなかった。その不満を率直に言えば、みんなスケールが小さいなあ、という思いだ。いや、他人の人生に対してアレコレ注文をつけるなんて傲岸不遜。私なんかがケチをつける筋合いではないことは、よくよく承知しているつもり。と戒めてみても失望感は埋まらなかった。

生活者とは「自分と自分の家族の幸せのために生きる人たち、の謂」と最初に書いたが、どうしても疾走プロ作品のスーパーヒーローたちと比べてしまう。うーん、イカンなあ、と猛省。今、自分に課せられている課題は、平成という時代になって、描くべきニッポン人像は?ということのハズ。それは、今後の、求められるべき日本人の生き方を追究することでもある。

「八幡堀」を毎日、清掃を続けるなんて、誰でもできることではないし、大陸で生まれたばかりの我が子をなくした女性の悔しさ、辛さの度合いは他人には伺いしれない闇があるだろう。昭和のスーパースターだった奥崎謙三と比べるから、他が小さく見えるわけだ。

しばらく奥崎謙三のことは忘れよう。とにもかくにも、まず、素直に、生活に密着して生きてきた“市井の人々”に目を向けてみよう、と自分に言い聞かせたのだ。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。