2月24日放送のCX『ホンマでっか!?TV』を見た。カメラは、5、6台以上使っていると思うが、引きを撮らないので、出演者の位置関係が分からず、ちょっとイライラする。どこに誰がいるのかそれを教えてくれると見ている人は安心する。位置関係は人間関係だ。
さんまさんは自分のトークの文法を駆使して、快調にスタジを回し、笑いをとっている。マツコはいなくなったが、コメンテーター陣には心理学者の植木理恵、脳科学者の中野信子が揃い、ここに哲学者の池田晶子(故人『14歳からの哲学』著者)が加われば、脳科学、心理学、哲学それぞれ、3人の巫女が揃って壮観だなあ、などと思う。
トークの間に情報が入るのがこの番組のウリだが、笑いに情報を掛け合わせる手法の番組に、筆者は少し飽きている。今は流行なのだろう。みなそういう番組ばかりだとも言える。筆者と同じ時間、テレビ界にいてテレビ局をリタイアした友人にこの話をしたら「お前はまだテレビが好きなんだなあ」と言われた、友人はもうテレビに興味がないらしい。
さて、本稿でしたいのはさんまさんに関する昔話である。
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(CX1981〜1983)は全盛の頃、毎回視聴率30%越えをしており、フツオ(普通の子:長江健次)、ヨシオ(良い子:山口良一)、ワルオ(悪い子:西山浩司)の子どものコーナーのコントを書いていた筆者は40%も狙えると思っていた。(結果は最高39.8%)
その末期、これまた全盛期の明石家さんま(当時31歳)がゲストでやって来て、学生服姿で欽ちゃんとコントで初共演した。さんまさんは、居間を所狭しと暴れ回り、会場は大爆笑。その動きの速さは欽ちゃんを置き去りにするほどだった。当時の筆者は「イヤな予感」がした。
この時のさんまさんとほぼ同じ32歳だった時の欽ちゃんは、『コント55号のなんでそうなるの?』(NTV)で、坂上二郎産さんを相手に浅草演芸場で2m(と思えるほど)飛び跳ねていたいた。その頃の欽ちゃんは、可愛くて女の子にモテて、運動神経が良くて、芝居が出来て面白い。つまり、三拍子揃っていた。『良い子悪い子普通の子』の頃は、46歳で、三つの美点が薄くなっているのを自覚しており、その美点を、可愛い長江健次、芝居の出来て笑いがとれる山口良一、運動神経抜群の西山浩司に割り振って、3人ひと組で、一人の萩本欽一をつくろうとしていた。
そこにやって来たのが1人で三つの美点を持っている。全盛期の自分とそっくりの(と思ったかどうかは、筆者の推測である)明石家さんまだった。
収録がおわって大将は(欽ちゃんをスタッフはこう呼ぶ)主要なスタッフに静かな声でこうおっしゃった。
「おれを、つぶす気か」
もちろん、さんまさんと共演させたことを指している。チャップリンを思い出した。どの映画だっただうか、登場した犬が見事な演技を見せた。爆笑のシーンが撮れた。しかし、監督チャップリンはその犬のシーンを全部カットした。同じ映画の中に自分より面白い存在があることは決して許さなかったのだ。
欽ちゃんは、さんまさんのことを「今どきの芸人には珍しく『受け』が出来る」と、よく褒める。
欽ちゃんの笑いは『フリ』『オチ』『フォロー』で出来ている。この『フォロー』の部分が前段で言う『受け』である。「大抵の笑いは『フリ』『オチ』『フリ』『オチ』の繰り返しで出来ているが、ここに『フォロー』=『受け』を入れることで笑いは倍加する。さんまさんは人のトークを聞いて、スタジオにひっくり返ることがある。あれが『フォロー』=『受け』のひとつである。
『フリ』『オチ』の繰り返しはまた、『ボケ』『ツッコミ』『ボケ』『ツッコミ』の繰り返しとも同じである。『ボケ』た後に「いいかげんにしろ」と『ツッコミ』をいれたらそれで終わり。それ以上話は続けられないので違う『ボケ』を用意せねばならず、話がぶつぶつ切れる。笑いが寄せる波のようにだんだん大きくはならない。
だから、欽ちゃんの『フリ』『オチ』『フォロー』においては、『フリ』は指示だと言える。『オチ』は笑いだが指示をどう『コナす』かである。当然次に来るのは『フォロー』でなければならない。この、『フォロー』のあとに『ツッコミ』を入れてはいけない。繰り返すが『ツッコミ』をしたらそれで終わり。『ツッコミ』ではなく『落トシ』になってしまう。「言ったらおしまい」なのである。それから、『ツッコミ』が単なるの「指摘」であってもいけない。「発見」ないし「展開」でなければならないとも欽ちゃんは言う。だから、欽ちゃんの『フリ』『オチ』『フォロー』は『フリ』『コナし』『フォロー』と言い換えた方が分かりやすいかも知れない。
で、これを教えたわけでもないのにこともなげに出来るのが明石家さんまだと欽ちゃんは言うのである。
以上でしたかった昔話は終わり。ところで、筆者が一番好きなさんまさんの番組は『さんまのお笑い向上委員会』である。
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NHK『チコちゃんに叱られる!』が、最近、鼻につく。
うっとうしくていやな感じがする、どうも気に入らない、いじましい匂いが鼻に残って離れない。理由は四つ。
理由を述べる前に前段。筆者は番組の開始当初から『チコちゃんに叱られる!』のファンであった。制作しているのが同種番組『トリビアの泉』(フジテレビ)の主要スタッフが異動した先のフジテレビ子会社FCC(フジクリエイティブコーポレーション)だとは知っていた。だが、それさえも、まだ生命を長らえていた『トリビアの泉』を唐突に終わらせられたことへの意趣返しだと感じて好ましかった。さらに、岡村隆史のキャラクターをよく知っていて起用法が上手かった。岡村は優れたコメディアンだが「受け」と「回し」が下手で苦手である。スタッフはそれを補うために木村祐一を起用した。木村はNHK的見た目をしていないので、実物CG合体キャラ5歳児のチコちゃんにした。うまい。さすがNHK、金もある。もちろん取材の中味は『トリビアの泉』仕込みの徹底ぶり。諧謔に満ちていてすばらしい。ところがである。
鼻につく理由1。
番組パロディが頻繁すぎる。こういうモノは、刺身のツマに時々やればいいのであって、大根の飾り切りを毎回これ見よがしにメイン料理として出されても嫌になる。2月19日(金)の放送では、屋外のスケートリンクの凍らせ方を『ドキュメント72時間』の真似でやっていたが、真似していること自体が、もう鼻につく。凍らせ方を見せたいのか、もじりを見せたいのか訳が分からない。何だが、企画提案会議の様子さえ、目に浮かんでくる。
企画提案するディレクター(以下提案D)「スケートリンクはどうやって凍らせるか、というのはどうでしょう」
企画採用担当P(以下採用P)「そんなの、水撒いて凍らせるんじゃないの。ニュースでやるじゃん、お寺の境内にスケートリンク張りましたとか。」
提案D「さすがっすね。Pさん知ってましたか」
採用P「褒めても、ダメ。次いいの持ってきて」
提案D「ちょっ、待ってください。これをね、『ドキュメント72時間』をパロって、やるんすよ」
採用P「パロってか。そこまで考えてあるなら、先に言ってよね。パロディなら、面白いんじゃないの。ねえ(下請け会社Pに声を掛けて)〇〇ちゃん」
下請けP〇〇「そりゃ、Pさん、OKなら。Pさん、はずしたことないですから。じゃあ、飲みに行きますか。十番にね、いいとこあるんすよ」
筆者は爺ジジイだから、セリフが古いかも知れないが、内容は大体あっているだろう。出来たリンクを最後にすべるディレクターが転ぶことは予想が付いた。『ドキュメント72時間』風なレーションをしてくれた吹石一恵さんが「すべれてないやんか」と、おとしているところだけは、往時の『チコちゃんに叱られる!』思い出しよかった。
[参考]NHK「チコちゃんに叱られる」は人間の負の感情も満足させる
鼻につく理由2。
「私は流されない 唯我独尊ゲーム」がつまらない。芸能人が遊んでいる様子をただ流している番組ではないところが『チコちゃんに叱られる!』の真骨頂だったのに。これはまさしくただ芸能人と遊んでいる、僕が嫌いな『マジカル頭脳パワー」である。番組の趣旨と何が関係があるのか。知らない人に、このゲームを説明する。
「ある言葉から連想される言葉を次々と言ってつないでいく連想ゲームの逆です。連想しない言葉つまり 前の人が言った言葉と全く関係のない言葉を言わなければならないゲームです」
始まり。
「唯我独尊ゲーム!イェ~イ!」
「せ~の チコ チコ チコ チコ!」
「ドーナツ は 走る。」
「チコ チコ チコ チコ!」
「走る は 靴下×」
というゲーム。筆者は、「チコ チコ チコ チコ!」が聞こえてくると、「イラ イラ イラ イラ」するのでトイレに行く。
これを番組に関連づけるなら、こうするのはどうだろう。
「『唯我独尊ゲーム』で、間違ってしまうのはなぜか?」
チコ「人間の記憶は意味ネットワークで出来ているから」
意味ネットワークとは、ある特定の単語からの連想語や、一連の会話のなかにおける単語や動詞、目的語などのつながりのことを言う。つまり、記憶は使いやすいよう(早く思い出せるよう)に(以下例)ネコ→ほ乳類→クジラ→海のようにつながっているのです。これはそこら辺の心理学者なら誰でも答えられますから、後は調べて下さい。
コロナでロケする時間がないなら、放送時間を短縮すれば良い。東京本局の意向が、全国隅々まで行き渡るNHKなら可能だろう。同じくコロナ対策の一環では、働き方改革のコーナーが優れていた。CG チームが休みを取れるようにNHKの持っている素材VTRで構成するコーナーで、チコちゃんの後ろ姿しか映らない。
働き方改革は「子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが経済を強くするという新たな経済社会システム創りに挑戦する」というのがお題目の「働き方改革関連法案」の基礎となる考え方。労働者側には一見ありがたいこの考え方を実現するとの主張だった。だが、世の中からは、現在の労働力不足を補うために子育て中の世帯や介護中の世帯からも労働力を集めよう、出生率を上げて将来の労働力をできるだけ減らさないようにしよう、という経営側の狙いが見え見え。正体は「働かせ方改革」ではないか、と評判が悪い。それを利用して、NHKでは正面からは出来ない「働き方改革関連法案」を批判しようという狙いも込められていたように見えて、大変好ましかった。それに比べて……という話だ。
鼻につく理由3。
最後のチコちゃんと岡村のダンスがあざとい。よく、野球のピッチャーに「ボールを置きに行ってはいけない。打たれるぞ」と注意するが、このダンスは二匹目のドジョウ、三匹目のドジョウを狙って置きに行った企画だ。売りたいことが見え見えで新しい武器が次々登場する戦隊ヒーロー番組のようにあざとい。最近の視聴者は賢いからこういうあざとさには騙されません。
鼻につく理由4。
NHKの番組宣伝キャスティングが多すぎる。『チコちゃんに叱られる!』に出て宣伝したいドラマや。バラエティ番組は多いだろうが、番組が出してくるゲストは二線級と決まっている。こういう夾雑物を民放では昔、編成局がブロックして、本線の番組を守ってくれたものだ。でも最近の編成は何が番組にとって力になるかを判断できないので、自らねじ込んできたりする。編成の力を間違って使っている。
筆者は、民放とは一線を画す『チコちゃんに叱られる!』を支持していたのだが、いまや「ブルータス、お前もか」である。
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2月8日(月)から2月12日(金)に掛けてのNHK連続テレビ小説『おちょやん』は、作品として若干辛いところがあった。筆者の考える理由は2つ。劇中劇の扱いと、主人公の「ちよ」を演じる杉咲花の芝居である。
杉咲花の芝居については簡単に触れる。感情を込めた表現の芝居において「大声を出す」表現しかやらないことが、気になってきたのである。本当はもっと芝居が出来る俳優だと思うので、この欠点は演出家の問題で、いずれ解決するだろう。
もうひとつは、ちよ達が結成した鶴亀家庭劇(モデルは松竹家庭劇)の劇中劇がはいるようになったことである。しかも、それは劇団の存続を掛けて社長の判断が下る大事な公演で、しかも、嘗ての天海天海一座の看板喜劇役者・須賀廼家千之助(星田英利)が加わって、芝居にダメを出すと言う、ドラマ全体にとっても大変重要なシークエンスの芝居である。しかも、この劇中劇には難しさに拍車を掛ける要素がある。
劇中劇(Story within a story)とは、劇の中でさらに別の劇が展開する「入れ子構造」によって、ある種の演出効果を期待する技法である。『おちょやん』の場合は「テレビドラマの中の劇」である。もっと限定して言えば「ストーリードラマの中の爆笑喜劇」である。この、劇中劇が「爆笑喜劇」でなければならないことが劇中劇のクリアハードルをきわめて上げるのだ。感動や泣きの芝居であれば、劇中劇をワンシーン入れて観客のリアクションを編集でつなげば格好がつくが、爆笑の劇中劇の場合、劇自体が爆笑でなければならない。さらに、客が本当に笑って居なければならない。笑う芝居は泣く芝居より難しい。
そう考えたときに『おちょやん』の劇中劇は笑えないものだった。井戸から旦那が飛び出そうが、スッポン(花道に切られたセリ)から飛び出そうが、これは単なる現象であって、笑いではない。しかも、観客役の俳優達は本当に笑って居るように見えなかった。
爆笑劇中劇の参考になる映画が2つある。
[参考]映画「アフリカ珍道中」がただの荒唐無稽では終わらない理由
ひとつはフランク・キャプラ監督のコロンビア映画『陽気な踊子』(The Matinee Idol:1928)である。主演のベッシー・ラヴ(Bessie Love)は、田舎劇団の主演女優。南北戦争を扱った悲劇を上演し、聴衆の絶大な支持を得ていた。たまたまこれを見た大映画会社の重役は、この劇をニューヨークで上演しないかと持ちかける。夢のニューヨーク。しかし、映画会社の重役はこれを悲劇ではなく喜劇として上演することを目論んでいた。2回はいることになる劇中劇の変わり身が見事である。ちなみに、劇中劇の方だけをピックアップして榎本健一の座付き作家であった菊谷栄(きくやさかえ)が翻案劇「最後の伝令」を書いている。
もうひとつは、青柳信雄監督の東宝映画『雲の上団五郎一座』である。榎本健一が座長を務めるどさ回り劇団雲の上団五郎一座は、地方で一旗揚げようとしていた。その劇団が大当たりをつかむのが劇中劇化して取り上げられる『お富与三郎』である。『玄冶店(源氏店)』(げんやだな)の場面を、八波むと志の蝙蝠安、三木のり平の切られ与三、由利徹のお富さん、豪華喜劇役者陣で演じる。このシーンが見たくて、この映画、ずいぶん探していたが、VHSしかないのである。東宝はこれをぜひDVDにすべきだ、日本喜劇の財産だから。話が逸れたが、見る限り『玄冶店』の劇中劇はセットではなく本物の劇場で撮られている。もしかしたら、劇場中継の映像をそのまま挟み込んだのかも知れない。三木のり平は、のちに劇場の『玄冶店』は、「そりゃ面白かったよ」と語っているくらいだ。
『おちょやん』は、松竹新喜劇の看板スター浪花千栄子さんがモデルだけに今後も劇中劇がたくさん登場するだろう。何かの参考になれば嬉しい。
ちなみに、松竹新喜劇は浅草軽演劇の流れを汲む。チームワークの芝居である。浅草で赤ふんどしで走り回るようなひとりウケのギャグをやる者は、チームからはじき出されて、吉本に流れていった。というのは浅草軽演劇を知る人の話である。
ところで、今後登場する、花菱アチャコ役の塚地武雅は楽しみだ。彦爺役でかつて出演した曽我廼家文童さんの軽い芝居も大好きだ。もう一度違う役で出して欲しい。
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『千鳥のクセがスゴいネタGP』(2月11日(木)放送フジテレビ)が、面白い。第一に作っているスタッフが笑いを愛していることが画面全体から感じられるからだ。「笑いがそう好きでもないと思われる人」がビジネスライクにつくった番組(例『ボキャブラ天国』CX、『エンタの神様』NTV)は編集に愛がない。客が笑っている処だけを無理矢理集めて編集する。結果、なぜ面白かったのかわからなくなってしまう。
第二に(これを一番に挙げるのが正当だろうが)演者が皆、楽しそうに演じているからだ。ボケてツッコミ、ボケてツッコミ、ボケてツッコミ単発の笑いを繰り返す者や、大声を出すだけの者や、テレビで目立つことだけが目的であざとい演出を厭わない人たちが居る中で、今回の『クセスゴ』の演者は、大半が自分の芸を楽しそうに演じていて、見ていて気持ちが良かった。
番組は千鳥(大悟40歳・ノブ41歳ともに岡山出身)ノブの「クセがすごい」というツッコミ・フリのフレーズを頂いて、普段、正当に笑いをとりに行くコメディアンにも、それを封印して、クセのある笑いを見せてもらおうという趣旨である。
似た番組として『あらびき団』(TBS)が2011年頃まで放送されていたが(因みにこの番組を止めたのはTBSの大きなミスである。『キングオブコント』より大きく笑いに貢献しただろう)この番組はまだ、世の中に出てきていない知られざる奇妙ネタを紹介する番組であったのでその点が違う。
[参考]島田紳助の才能と長谷川公彦の現在
2番組の違いはさらに後述するとして、『クセスゴ』に話を戻す。『クセスゴ』は、出てくる演者の様々なクセスゴネタを見て、これは好き、これは嫌いだなど、視聴者に感想を言ってもらいながら、見てもらう番組であろう。
そういう意味で、筆者は一番好きだったのは空気階段(鈴木もぐら33歳水川かたまり30歳)のネタである。水川の姫が愛する王子が、魔法で犬に変えられてしまった。しかし、姫の愛が通じて犬は人間(鈴木もぐら)に戻る。
このネタを見て、筆者は笑いが止まらなくなったしまった。太っている方の鈴木は落語研究会出身だから、古典落語の「元犬(もといぬ)」を当然知っているだろう。昔、白犬だった男が願いかなって人間になる。だが、なったはいいが、つい犬の習性が出て失敗ばかりするという爆笑系のネタである。つまり、その反対。犬にされていたときの習性が抜けないのがギャグになるわけだが、ワンワンとかは当たり前だから当然やらない。抜けない犬の習性というのが「口の開き方」なのである。人間と犬の口の開き方は当然違うから、言葉を発するとき犬の口の開き方になってしまい、言うことがはっきりしない。この言葉のはっきりしなささが絶妙に上手いのである。僕は笑いには「(展開が)意外」と「(演技が)上手い」の両方が入っていないと絶対にダメだと思っているが、空気階段のネタにはこの「意外」と「上手い」が過不足なく入っていたのである。趣旨通りクセもすごいし脱帽。
さて、『千鳥のクセがスゴいネタGP』と『あらびき団』の比較である。両方ともネタをつなぐMCが居る。前者は東野幸治と藤井隆。後者は千鳥である。違いは千鳥はほとんど喋ら亡いのに対し、東野と藤井のMC部分の量は圧倒的に多い。
その内容も東野と藤井の方が、優れている。奇妙なネタをやる演者の行く末を厳しくも暖かく批評しながら、ネタのアイディアを出し、時にはぶった切る。あのMC部分は番組を見る楽しみのひとつでもあった。ところが、千鳥は喋らない。ワイプの中で2、3ことしか言わないというのがイメージである。ビートたけしでさえネタを見たらもっと話す。喋っているのに、編集されてしまっているという言い分もあるだろう。だが、編集されているのはつまらないから編集されているとも言える。編集はディレクターからの演者へのメッセージ、演出家からのラブレターである。編集後のVTR(つまりテレビで放送されたもの)には収録後の反省会などより、何倍もの有益情報が詰まっている。MC部分を単純につまらないからという理由で単純に編集するのは実は間違いなのだが、もし、つまらないからと言って編集しているのだとしたら、それは演出家が千鳥への愛がない証拠である。(愛があるから編集してあげる、という場合もあるから難しいのだが)
時間が足りないなら『クセがスゴくないネタ』をカットするべきである。たとえばキャイーンは懐かしいキャイーンそのもののマンザイだった。今回大変できの良かったかまいたちのコントは、浅草3大コントのひとつ『天丼』のパタンに見事に当てはまった優れたモノだった。オチも見事だった。かまいたちは出来る。だが、なのである。
千鳥は、魅力の多いコンビだ。スクエアでどこか抜けた親しみを感じるノブ、アウトローの魅力を持ち規格からはみ出た大悟、とり合わせ、座組も最強だ。かつて僕はある週刊誌の取材で千鳥をこれから大きくなる芸人として一番に挙げたことがある。予想が当たったことを自慢したいわけではない、千鳥にはもっともっと大きくなって欲しいのである。
もともとが『千鳥のクセがスゴいネタGP』なのだから、千鳥自身の『クセがスゴいMC』も見せて欲しいのである。このまま『クセのないMC』をささやかにやっていると、それは千鳥の芸人としての致命傷になる。
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面白い。笑える。上手い。そう思えるコント番組に久々にであった。フジテレビが1月3日の正月特番で放送した『新しいカギ』である。この番組が4月からレギュラー番組として毎週金曜日に放送されるという。コント好きとしては、嬉しい限りである。
この番組は今低迷しているフジテレビが覚醒するきっかけになるのではないかと、僕は思う。その理由を挙げて行く。
まず、この番組には、コント番組のレギュラー出演者キャスティングにおいて確かな目を持つプロデューサーがいる。
*チョコレートプラネット(長田庄平41歳 京都出身 :松尾駿38歳 箱根出身:吉本興業)
*霜降り明星(せいや28歳 東大阪出身:粗品28歳 大阪出身:吉本興業)
*ハナコ(菊田竜大33歳 千葉出身:秋山寛貴29歳 岡山出身:岡部大31歳 秋田出身:ワタナベエンターテインメント)
けっこう大切なことだが、若いし、出身地も全国に散らばっているし、プロダクションも混合だ。多様性は笑いに幅を与える。さらにもっと大切なことだがこの演者たちは皆、芝居(コント)が出来るのである。チョコプラは欽ちゃんが認めたほど、手足の裁きがきれいな芸人ある。和泉元彌の真似がさまになるのはそのお陰だ。ほかのメンバーもセット(舞台)に立っているときに、立ち姿が様になっている。
コント(芝居)の出来ない演者は何もせずに立っているときに棒立ちになってしまう。そのせいで、メインの動きとは関係ない余計な動きをしてコント(芝居)の笑いどころの邪魔をする。いらないしゃべりを足す。彼らにはそれがない。ところで、コント(芝居)という書き方をしているのは、コントと芝居は、結局は同じだと思っているからである。
フジテレビはコント番組をつくるのが大変得意な局であった。しかし2018年に『めちゃ2イケてるッ!』が終了して以来、その伝統は途切れた。あわせるように、全体の調子も落ちていった。だが『新しいカギ』のようなコント番組が復活すればそれをきっかけに再生するのではないかと思う。フジテレビはやはり『楽しくなければテレビじゃない』のである。
では、1月3日の放送から、それぞれのコントを見て行く。
「ドラマ「教場」の設定で、教官の粗品の出すお題を演じるコント」緊張という圧がかかっているので、すべっても何とか出来るという設定だが、演者達の上手なのは、その場の緊張という振りを芝居できちんと表現しているところだ、
「UzerEatsの配達員」連ギャグ。その1は、俳句でいえば「律儀なるUberEatsに冬の雨」という設定だ。ようやくやって来た配達の青年だが冬の雨でずぶ濡れである。家に上がり込んでハンバーガーをテーブルに置こうとするが、家人の永田は迷惑である。これこそ、コントの設定だ。この設定があれば、後は演者がどうにでも動けるのだ。マジですべって転ぶなど、笑いの神様も降りてくる。
面識はないのだが、台本を書いたであろう樅野太紀氏、酒井義文氏、谷口マサヒト氏、白武ときお氏のすばらしさである。連ギャグの一番目がありそうな設定で笑いが取れれば後は翔んだ設定(略語だらけのギャル・せいやの演じる太田光)でも自然にはいっていける、一つだけ、長田に注文。長田は普通の人の設定なのだからツッコミに類するセリフをしゃベってはイケない。普通のひとがその場に居たらどう嘆くかを考えて演じるべきだ。手なりでツッコむ(落としのセリフを言う)癖は直すべきだ。
「演歌歌手に番組終了の引導を渡すコント」せいやの独壇場。せいやは久しぶりに一人で演じて面白い逸材だ。ビートたけし以来というのは褒めすぎか。このコントではせいやに乗っけてチョコプラ松尾のお付きのヨイショが実に上手い
「ぶっとびの飛美男くん」女の子に優しくされたりすると、上がって(ホントに)ふわふわ浮いてしまうコント。アイディアのコント。やはり、飛美男役の松尾がうまく、宙に吊られて浮いてしまうところがおかしいが、それもこれも、粗品や女優陣が必要なとき以外は一切飛美男に目線を送ってはならないという規則を演出家がきちんと指示しているからのおかしさ。
「ボキャビルダー」マッチョの姿でやる言葉ゲーム。面白ければ時間を埋めるにはいいだろう。
「恋するせい子物語」美人の転校生に何とか失敗させてやろうと企むせいやのJK。だが、ことごとく失敗するという典型的な設定コント。ありきたりの設定だが、コント(芝居)が、上手いので面白くなっている。しかもせいやのJK役が、意外にも可愛い。オへチャだが可愛い。汚くない。これは、テレビでは大切なことだ。
さらに、イタズラが失敗したときのせいやのリアクションが、抜群におかしい。オチ(失敗)があって、次に来るリアクション、このリアクションをコントでは「受け」と言うが、このウケがきちんと出来る人を、ぼくは、今の芸人では明石家さんましかしらない。さんまは他人のトークを聞いた後、膝を折って崩れ落ちる、アレが「受け」である。
最後に、番組に対する筆者の希望も書いておこう。
今回はCOVID 19の影響でハナコの出番はほとんどなかったが、彼らが、留守を守った他の演者の精神をしっかり受け継いで演技してくれることを望む。
これは、余裕が出来てからでいいから、使って欲しい演者が居る。座組の相性などあるだろうから、それがクリアされるならばでよい。かもめんたる(岩崎う大 槙尾ユウスケ)。現メンバーより年上なのが難点だ。空気階段(鈴木もぐら 水川かたまり)。彼らも霜降り明星より年上だ。インパルス板倉俊之。もう43歳か。ゲストでたまに、なのかもしれない。
生放送をして欲しい。出来れば舞台公開で。なぜなら、テレビの優位はこれから同時間性しかなくなるからだ、ドラマやリアリティショーでネットメディアがいくら、視聴者を持っていこうが、今、その時間に違う空間でものがおこなわれている状態をつくり安いのはテレビだからだ。ネットでもやれることだから、ネットがやらないうちにテレビは同時間性を追求するべきだ。
生のコント、しびれますよ。
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綾瀬はるかとサンドウィッチマンンの共通点は好感度ランキングで、男女それぞれの一位をとっていることだ(ランキングサイトRANK1調べ)
後に述べる録画してある番組を見ようとしてテレビを付けたら、たまたま再放送していたTBSのドラマ『義母と娘のブルース』に、目が釘付けになってしまった。
「これはコントじゃないか」
コントじゃないかとは、筆者のようなコント作家にとっては褒め言葉である。貶しているのではない。状況設定、キャラクター設定、場所設定ともに、面白いコントになる要点をすべて備えて居る。しかも、芝居の出来る役者が、本業として全力でやっている。綾瀬はるかの演じるシングルマザーで義母の岩木亜希子(33)役は、能面のような表情で、事務的で格式ばった口調で話す。恐らくありえないに近い人物造形だが、そのありえなさを綾瀬の演技力で越えている。森下佳子の脚本は桜沢鈴の原作まんがを役者が演じるために、きちんと変換し昇華している。うじゃじゃけた、コントまがいの、あるいは、まんがの再現ドラマかと思うような作品もある中で見事なものである。たとえばこんなシーンがある。
傾いた麦田ベーカリーの跡取り息子、章(佐藤健)が、店を建て直してくれた綾瀬はるかに、意を決してプロポーズする。
章はモノを知らないおバカの設定である。「プロポーズを聞くのに先入観を持って聞いてはいけない」という趣旨のことを綾瀬に言おうとして、先入観と言う言葉を間違えてしまう。セリフを写し取ると以下のようになると思う。(ドラマを知らない人のために役者名で表記する)
夜8時過ぎの公園、遠くに街の明かりが見える。ベンチにきちんと膝を揃えて座っている綾瀬はるか。おちつかなげに立っているジャンパー姿の佐藤健。
健「プロポーズとか聞くとき、そういうとき、いけないのは、そうに…」
はるか「(パっと、健の言葉をとって)先入観のことですね」
健「そう。そう」
これだけで、はっきりと、健が「先入観」と、間違えた言葉が「挿入感」と分かるのである。笑う。これが、どうして成り立ったのか。
[参考]
脚本家の書いたセリフがそうだったことが、まず考えられる。しかし、セリフを書くときに、多くの脚本家は括弧書きで(パっと、健の言葉をとって)のように動きを指定することをためらう。そこは、役者の工夫の領分だからだ。役者に失礼だからだ。
役者自身のやりとりの工夫。リハで考えたこともあろう。演出家の指示もあろう。最終的にOKを出したのはディレクターである。筆者は、ドラマをあまり見ないので、人気の『義母と娘のブルース』を、見ていなかった、しかし、ワンシーンだけで、何となく設定が分かるのは、このドラマの力である。
さて、冒頭に述べた「録画してあった番組」とはフジテレビの2020年12月29日(火曜日)放送、フジテレビの『ただ今、コント中。』である。
コント番組不遇の時代が長く続いいていたが(私見ではタモリの日本テレビ『今夜は最高!』終了(1989年)以来、それは、続いていた)ようやくコント番組の復活が見られるようになってきた今日この頃、サンドウィッチマンのやる番組に注目した。前回8月放送の時も評論を書いて、「スタッフを萎縮させる」などのお叱りをいただいた。文章にすると固定化するからそれも分かる。筆者の評論など、全く無視して、若い人は我が道を行って下さいとの希望もあった。ただひとつ思うのは「コントはオワコン」などと言われたくないということだ。落語は好事家のための伝統芸能になってしまったが、コントが、終わったコンテンツ(オワコン)になるのは、まだ早いだろう。
(1)J.Y. Park店長(富澤たけし)に、おばたのお兄さんも加わって、松井玲奈のバイト志望者を面接する。よく似ているJ.Y. Parkが2人になって強力。松井を案内してくる店員のかまいたち濱家は、なぜ面接会場に入れるのか、個人情報の保護が叫ばれる今、私的なことも聞かれる面接会場に余計な人は入れないのは常識だ。と堅いことを言ったが、面白ければ店員の濱家が中にはいる理由だけ考えてあげれば良い。J.Y. Park役へのツッコミがどうして欲しければ、濱家が覗いていうことも考えられる。これを考えるのはスタッフの仕事。
(2)中継される動物園。惜しい。アナウンサーが中継しているので、そのとおりに、動かなければいけなくなってしまう動物たち。なぜ、動物はムチャぶりのそのとおりに動かなければならないのか。昔はやったこの手のコントでは、その動物園の動物が人間が演じているニセモノなので、バレないように動物らしくしなければならないという設定を入れたものだ。
(3)ゲーム実況の富澤。(2)と構造は同じであるが、設定が新しい分、こちらがずっと上。
ところで、コントの要諦は演者が全力で、真剣に、役に憑依されたように演じることだ。一生懸命ふざけるという方法もあるが、それは年取ってからやれば良い。
(4)テロの戦士は実は全員が味方だった。変わり身が見どころの芝居が必要なコント。同じことの繰り返しなのでエスカレートが必要だ。僕は「3回目は変えろ」と習った。
(5)芸能人の保釈。おもしろい。実はバラされてしまう芸人の隠された不祥事がもっと有名だといい。大物演者向きコント
(6)ヤマンバグループ(ゆきぽよ、3時のヒロイン福田、かなで、かまいたち山内)の仲間になりたい浜辺美波。今回のコントで最もおもしろかった。浜辺美波初め、出演者全員が役に憑依しているからだ。山内のメイクからも本気度が分かる。こういうコントに僕はやられる。
(7)ガラケーの妖精。おなじみのこびとのガラケー妖精を演じる伊達と富澤、さすがのコンビネーションである。「いつもここから」のネタを演じたサンドウィッチマンに吹き出す、濱家のリアクションも適量。
(8)ダテちゃんマン。決めた段取り通りにやり過ぎたかな?段取りからずれていきたいなあ。ベルトコンベヤを伊達に内緒で[打ち合わせずみの内緒にしないと危ないよ)速くするとか。
(9)たまに芸能人が来るラーメン屋。筆者が、ネットに書いた評が読まれていた。皮肉でも何ともなく、少しでも笑いになっていたら嬉しいです。
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朝の情報番組を立ち上げるには、中心の司会者と、1人から3人のコメンテータをキャスティングできれば、立ち上げの仕事の70%は終了である。
これまで最低2つは成功した朝の情報番組を立ち上げた筆者の放送作家としての経験則である(『みのもんたの朝ズバッ!』『はなまるマーケット』)。経験則だから、古くなるのであり、更新することが必要であるが、今のところまだ使える。
残り30%は、内容、音楽、見術セットなどである。特に「内容」についていうと、テレビ局はこの「内容」を任せられるディレクターを育ててこなかったように思う。曜日毎に最低2人は必要だが、そこが育てられていないので、元々の感覚の優れている「できるディレクター」が1人ぐらいいる、というのが実情だろう。
となると、より重要になるのが、70%の部分を占める「キャスティング」である。『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)は、この部分で他局を圧倒している。圧倒しているから、視聴率でも他局の追随を許さない。
この強さを、軽く示した好例が1月4日(月)の放送であった。まずメンバーを紹介しておこう。
*羽鳥慎一(1971年生まれ):元日本テレビ男性アナウンサー。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、日本テレビ入社。野球の実況をしたかったためである。現在フリー。
*山口真由(1983年生まれ):日本の弁護士、ニューヨーク州弁護士、専門は(英米法:家族法)。元財務官僚。東京大学法学部を卒業。ハーバード大学法科大学院修士。
*玉川徹(1963年生まれ):テレビ朝日報道局局員。報道局の主任として『スーパーモーニング』などの番組でディレクター、リポーター。京都大学大学院農学研究科修士。
*ゲスト・瀬古利彦(1956年生まれ ):元マラソン選手、陸上競技指導者。日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー。南カリフォルニア大学在籍。早稲田大学教育学部卒業。
*石原良純(1962年生まれ):タレント、気象予報士。慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。
番組でコロナの話題が終わって、5分ほどの箱根駅伝の話題になった。最終10区でのレースは日蓮の法華経(創価大学)を道元の曹洞宗(駒澤大学)追う史上稀に見るデッドヒート。結局、曹洞宗が法華経を抜き去り優勝した。前回覇者のプロテスタント米国メソジスト監督教会(青山学院)は4位に終わった。
このことについて、次のような会話がなされた。
最終区に限らず、駒澤大の大八木監督はランナーに「男だろ」と伴走車から声を掛けて鼓舞し続けていた。
羽鳥「最近の子は萎縮しちゃうんじゃないですかね」
玉川「僕は、ジェンダーの人はひっかからないんだろうかと気になってました」
山口「男だろと声を掛けないと走れないのは納得できないです」
瀬古「監督はそこまで考えてないですよ。昭和の男ですから」
玉川「ジェンダーなんて聞くと僕はビビっちゃうけどね」
最後に羽鳥が瀬古にこう聞く。
羽鳥「瀬古さん、早稲田は?」
瀬古「来年優勝です」
それぞれの出演者が自分に割り振られている役柄設定や性格設定を見事にわきまえて発言しているからこそ。短い間にこれだけ見事なトークが成り立つのである。石原良純の「危うきに近寄らず」も、正しい判断。当分、『羽鳥モーニングショー』の視聴率という岩石で出来た石垣は揺るがないだろう。
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テレビドラマ『共演NG』の特別編をTverで見た。最もびっくりしたのはストーリー終了とともに、全六話を含めたDVD発売が告知されたことだ。なんと手回しのいい。商魂たくましく、少しでも金儲けのチャンスがあれば、逃さないぞ!との、気迫さえ感じられて・・・というか、大物歌手がやる舞台公演を見にいって、半ば強制的に取らされる休憩の間にロビーに出たら、売店で、もうその日の公演のDVD発売を店員が大声で告げている場面に遭遇したような、しらけた気持ちだ。もうちょっと舞台に酔わせてほしい。
特別編の内容は、いわゆる総集編であった。斎藤工の演じるショウランナー(ドラマの何でもかんでもを牛耳る役目の人・最高権力者)市原準が、なぜこのドラマを企画したのかが、本編ドラマではサスペンス仕立てで、と言っても思わせぶりな画像が入るだけだが、描かれていたので、これをやる必然は担保されている。スポーツ紙の芸能記者が市原に疑問をあてるという形で番組は進む。その間に関連するドラマのキスシーンなど印象的なシーンがカットバックされる。この総集編の見せ方は新しい。敬服する。
普通なら、ドラマの出演者がトークセットに集まって、ドラマを振り返るなどの手法をとるが(もっと普通は、ただの再編集)そういうぬるい方法をとらなかったのはすばらしい。前記の手法は大竹しのぶと明石家さんまが『男女7人秋物語』で、やったときにはなんて新しいのか、と思ったものだが時代は過ぎて行く。
残念なのは市原準が描くところの、サスペンスの伏線は視聴者の中ではほとんど回収されていたことであった。残る疑問は、市原がなぜ全部を牛耳るドラマがつくりたかったのかである。
(以下、『共演NG』特別編より引用)
「共演NGという危険を冒してまで、あなたはなぜこのドラマをつくりたかったのですか?」
市原「日本のドラマを変えたかったからですよ。ここ数年、配信系メディアを通じて、世界中の優れたコンテンツが続々と押し寄せてきているのに、日本のドラマは大きく遅れをとっている。そして、その差は今後ますます広がるでしょう。脚本、キャスティング、業界のしがらみ、あらゆる忖度、制約が邪魔をして、優秀なクリエイターが挑戦できないでいる。だから、すべてそれを取り除いた状態で、このドラマをつくりたかった」
記者「テレビドラマに革命を起こそうと?」
市原「そんな大げさなものではありませんが」
記者「テレビ東洋を選んだのもその理由?」
市原「そうですね。テレビ東洋は、在京キー局の中でもっとも弱いテレビ局です。でも、もっとも、テレビへの愛のある局でもある。真の革命は愛によって導かれる。チェ・ゲバラの言葉です」
(以上、引用)
なんだ、そんな理由か、説教じみた正論か。というのが、正直な感想だ。忖度しないといいながらも、テレビ東京への気遣いは最高レベルである。チェ・ゲバラが言った正確な言葉は『真の革命家は偉大なる愛によって導かれる』であるらしい。
『真の革命は愛によって導かれる』とは、革命家という人への愛と、革命そのものへの愛では意味が違ってくるなあと思うという感想も付け加えておく。けれど、ドラマはフィクションだから、これはこれでいいのか。
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12月20日、2020年『M-1グランプリ』の決勝戦を見ながら、筆者は「見取り図」の優勝を願っていた。だが結果は、オール巨人とナイツ塙の2票で、優勝は中川家礼二、立川志らく、サンドウィッチマンの富澤の3票を得たマヂカルラブリーであったことはご存知の通りである。
なぜ、見取り図の優勝を願っていたのか。それはオール巨人が言ったように、3者の中で唯一しゃべくりマンザイだったからだ。審査員はどういう基準で優勝者を選ぶのだろうか。
「その場でどれだけ受けたか」
「自分の好みにあうかどうか」
「将来性」
基本的には、これらの総合点で選ぶのであろう。「その場でどれだけ受けたか」に関してはマヂカルラブリーである。設定は野田クリスタルが「負けた気がするから電車のつり革に掴まりたくない人」という優れたものであった。だが、この設定はきちんと生きていたのか。筆者にはそう思えない。野田は、よろけて転んだり、そこに車内販売が来たり、小銭をばらまいたりする様子を仕草で表現する。
[参考]『THE MANZAI』は今年の形式が良いと思う理由
だが、笑いが来るのはツッコミの村上が「こんなところでションベンするな」とか、「めちゃくちゃ人が倒れているじゃないか」などと指摘する部分なのである。つまり、野田の仕草単体では笑いは来ないのである。それで良いのだという意見もあるだろう。これがもっと高度になるとどうなるか。
まず、野田の仕草の部分で、さざ波のような笑いが起こる。その笑いの波は伝染して、会場の前の方に押し寄せてくる。次々と笑いの波は重なって大波になる。大波は村上のツッコミによって爆発する。会場がうねるような笑い。これくらいの可能性を秘めた設定だと思う。
盛山晋太郎(34歳)と、リリー(36歳)の「見取り図」は、将来性に関しては三者中、ナンバーワンだろう。だが、彼らにも注文がある。盛山晋太郎が汚いのである。長髪が汚い。「汚いのはダメよ」というのは筆者の敬愛する某女性プロデユーサーの言葉だが、とくに女性の、見た目の好感度が上がらない限りはスターにはならない。芸人ももちろんである。
イケメンでなければならないとか、そういうことではない。りんたろーと兼近大樹のEXITは少しも汚くない。千鳥の大悟は汚いのを2ミリくらい前のギリギリで寸止めしている。大スターであるダウンタウンも汚くはない。ちょっと汚いのは笑い飯であろう。中川家と匹敵するマンザイの技術を持っていると思うが、スターの位置に上り詰めないのは西田幸治が汚いからである。汚さは努力で変えられるのだから、汚くないほうがよいのではないか。
笑い飯は筆者が大好きなコンビだ、と先に断ってから言うが、一方の哲夫は『汚れ(ヨゴレ)』である。笑いの世界で言う『汚れ』とは、長い下積みの苦労が澱(オリ)のように溜まり、それが、見ただけでにじみ出てしまうキャラクターである。笑い飯が大好きなように、この汚れの芸人には哀愁を感じて筆者は大好きなのである。だとえばダチョウ倶楽部の上島竜兵もそうだ。
今回、「汚れ」を感じたのはもちろん「おいでやすこが」であった。ながく芸をやり続けて欲しいが、このあたりに優勝されても主催する朝日放送は困るだろう。
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2020年のM-1グランプリであります。全ネタの寸評を書きます。
1.インディアンス(敗者復活組)
去年と同じく、ボケの田渕がザキヤマみたいに際限なくボケる漫才でした。早口でテンポもよく、2人の演技力も高いので、きちんとアドリブでひたすらふざけているように見えまず。それができるのは技術と不断の努力があってこそでしょうが、立ち止まってよく考えてみると田渕の言っていることのひとつひとつはしょうもない(=大喜利で出したとしたら評価されない解答)のです。それでも、あれだけの早さと厚みで繰り出されるからなんとなくおもしろくなってしまうのです。
ザキヤマも、普段テレビで見るときはあんな感じでしょうが、アンタッチャブルの漫才の時はもう少し早さと厚みを抑えて、大喜利力を上げて個々のボケを聞かせる感じにしてきていると思います。
ボケの中身がしょうもないと、ウケも頭打ちだと思います。いくらアドリブでふざけているように見えても、漫才である以上台本通りにやっていることだというのは背後に透けて見えますからね。「事前に考えたんならもう少し中身で勝負してくれよ」と思ってしまいます。田渕のあの感じは、アドリブでできてこそ見ている方のハードルも下がるのです。あと、ツッコミのきむは終始若干カミ気味だったかしら。
2.東京ホテイソン
巨人の言っていたことが私の考えに一番近いです。
2番目のボケを一例にします。「ピラニア・ライオン・オオカミ・シカ。動物たちの尻尾を取り出すとどうなる?」というクイズがボケのショーゴから出されます。ショーゴの言う答えは「消しゴム」です。「尻尾」というのは「最後の文字」という意味である、というのがショーゴの説明です。これがボケになっており、ツッコミのタケルが「い~やアンミカ!」と歌舞伎のような大袈裟なモーションと大声で正答を言いながらツッコみます。今回の漫才でお題になっていたのは終始この手の言葉のクイズでした。
何が問題かというと、ツッコミで正答だけ言われても本当にそれが正しいのかがはっきり分からないことです。こちらは最初のクイズを耳で聞いているだけなので、すぐには何が答えかが分かりません。なのでツッコミで答えを聞いてもイマイチ溜飲が下がりません。
ボケが堂々と間違いを言っているだけに、ツッコミが言ったことが本当に正しいかどうかを確かめないと不安を抱えたままになり、笑っていいものかどうか面食らってしまうのです。その正しさがツッコミを聞いた瞬間に理解できれば、もっと気持ちよく笑えると思います。
例えばTHE WのAマッソやバカリズムのネタみたいにプロジェクターでクイズを表示しながら漫才をやるのは一つの手だと思います。あんまり分かりやすくし過ぎるとお客さんにオチがバレてしまうので、表示する映像には多少の分かりにくさを残しておく工夫は必要ですが。
あとこれは松本の言っていたことでもありますが、たけるのツッコミは前述のように歌舞伎みたいに極限まで芝居がかった(悪く言えば、嘘くさい)大声です。このツッコミが、彼らの漫才の中の決め台詞になっています。でも、たけるはこの決め台詞以外の時もこのしゃべり方でしゃべるので(意識して抑え目にしてはいると思いますが、隠しきれていません。にじみ出ています)、あんまり決め台詞が映えていないと思います。ツッコミ以外の時はもっと普通にしゃべったらどうでしょうか。
1問目に対するツッコミも、この芝居がかった声でやることを意識しすぎたからなのか、非常に聞き取りにくかったです。1問目へのツッコミは、「ショーゴの説明に基づくと、正答として導かれる文字列が全く意味を為していない」というのがボケ(ズレ)の中核を為すため、その無茶苦茶さを聞き手に分かってもらうためにははっきり言ってもらわないといけません。
巨人のコメントの後にたけるに「い~やガチのダメ出し!」(それか、「い~やマジでタメになるやつ!」)って言って欲しかったですねえ。敗退決定時の彼らのコメントを聞く限り結構効いていたようですから。
3.ニューヨーク
おもしろいです。
屋敷は終始笑い顔を消しきれていませんでしたが、あれはもうそういう表情なんだと思います。今回のネタは、去年のとは異なり嶋佐のボケがかなり「悪」に傾いているため、笑いながらやるとお客さんが引いてしまうと思います。もうちょいちゃんと笑い顔を消せた方がいいでしょうか。
そして、2人とももう少し演技力を磨けると思います。
嶋佐はポーカーフェイスでボケをかましまくる人を、屋敷はボケのことを本気でおかしいと思う人を、いまいち演じ切れていません。特に屋敷の「なななななんやその話!」っていうツッコミは寒すぎて若干恥ずかしくなりました。この台詞は相当演技力がないとおもしろくできないので、台詞から変えた方がいいと思います。
4.見取り図
マネージャー役のリリーと大物タレント役の盛山のコント風の漫才でした。去年の漫才とは比較にならないほどおもしろかったです。「無意識でやってしまいました」の伏線まで張れていたのは見事でしたねえ。何より二人の素の漫才のキャラが合っていると思います。
特にリリーは、ポーカーフェイスで飄々とボケまくるので、「全然仕事のできないヤバいマネージャー」というキャラクターが非常にマッチしていました。盛山の素っ頓狂な声も、そのヤバいマネージャーに振り回される大物タレントの大変さをよく醸し出せていました。リリーは、本当にヤバいやつなのではないかという期待がすごくあります。是非、テレビで素の部分を見てみたいです。
5.おいでやすこが
ネタに伏線を入れていると私は褒めます。良かったです。塙の言っていたように、ボケにこの伏線以外の特別感はありません。特徴は何といってもおいでやす小田のやかましいツッコミです。あれだけウケをとるのは、台詞に風貌や声質が全て噛み合わないと無理です。何がどう噛み合っているのかの説明は私にもできませんが、多分冴えないおっさん風の見た目をしている小田が息を切らして騒ぐのが滑稽なんじゃないでしょうか。もっと若いとあんなにウケなかったと思います。
ネタ後の各審査員からのフリにもきちんとツッコめていたので、仕事は増えると思います。カンニング竹山的な仕事が増えると思います。体力を使いそうなツッコミなので、体には気を付けてください。
6.マヂカルラブリー
巨人も富澤も松本も「尻すぼみになった」という趣旨のことを言っていたのですが、最後にあんまりちゃんととツッコまないシュールなやつを入れ込むのも、野田の動き主体の偏差値の低いボケと同じくらいの比重を持った「らしさ」なんだと思います。野田がR-1でやっていた自作ゲームのネタなんかまさにそんな感じでした。「らしさ」を出して点数が伸びなかったのであれば、それはもうしょうがないことだと思います。
7.オズワルド
松本や巨人も言う通りツッコミは去年よりやかましくなっていましたが、好みの問題だと思います。どっちがいいとか悪いとかは特にないです。
私は一番おもしろかったですよ。欲を言えば、畠中はもうちょっと抜けた表情ができるといいと思います。自分がしゃべっていない間も、ずっと与太郎を演じて欲しいのです。雰囲気はカミナリまなぶと似ています。伊藤のツッコミも音量が上がったので、全体的によりカミナリに近くなりました。
8.アキナ
秋山が「前すいません」と2回言ったのが気になったんですけど、何の笑いにもつながっていなかったです。あれは何だったんでしょうか。審査員は順番のことを言っていましたが、あの人たちがそれを言い出したらおしまいだと思います。順番に関係なくネタのおもしろさだけで審査をしているよということにしないと、M-1が崖っぷちで何とか守っている体裁が崩壊していまいます。
ただまあ順番のことを抜きにしても爆発力には欠けるネタでした。多分富澤のコメントが一番的を射ていて、もう40歳の山名が好きな女子を意識するという設定が浮世離れしていてハマらないんだと思います。山名がチャラいキャラで世間に浸透している、とかなら別なんでしょうが。
9.錦鯉
ボケの長谷川さんは49歳だそうです。その年齢でこのネタみたいに動き主体のバカバカしいギャグをやると、普通は痛々しくて見ていられないものですが、不思議と見ていられました。多分、ずっとバカをやっている井出らっきょみたいな風貌だから許せるんだと思います。レーズンパンのギャグを何度もやるというような技も見せていたので、決してバカバカしいばかりではないんです。
[参考]「M-1グランプリ」全15回審査基準の変遷から考える
塙は「レーズンパン」の滑舌が悪かったと言っていましたが、確かにもうちょっとちゃんと聞こえた方がいいですね。スベらせる必要のあるギャグなのでちゃんと聞こえなくてもいいだろうという声もあるかもしれませんが、「そのスベるギャグを何度もやる」というボケが本当の聞かせ所なので「これはスベってもしょうがないな」とお客さんにきちんと思わせる必要があります。それには、何を言っているかを理解してもらう必要があります。ツッコミの渡辺さんは、声を張る時はいいのですが、それ以外の時は声がちょっと小さかったです。
10.ウエストランド
最後はツッコミの井口が南キャンの山ちゃんみたいに世の中への不満をぶちまけつつ偏見を大声で呼ばわる漫才になっていました。意識してパンチラインをいくつも入れ込んでいましたが、ちょっとそのキャラへの変貌が唐突過ぎます。冒頭でボケの河本が「不倫したい」とボケるのを制止しているので、まともな人に見えてしまうのです。井口のキャラクターが巷間に浸透しているわけでもない以上、ネタの最初から井口がそういうルサンチマンまみれのキャラだということをお客さんにフッておかないと、M-1の短いネタ時間ではウケきるところまで温まらないと思います。
井口の偏見まみれの言動に大してほとんどツッコミが入らないことも彼のキャラクターを分かりにくくしています。松本が「何漫才か最後まで分からなかった」と言っていたのもそういう意味だと思います。
井口のキャラを浸透させるための1発目のクダリは、井口が「かわいくて性格のいい子? いないよ」は3回立て続けに言うところなのですが、3回目で2回目よりウケが少なくなっていました。そのせいでやっぱり井口のキャラが分かりにくくなったと思います。3回目は、もっとたっぷり(2回目より)間をとって、動きも大きくした方がウケると思います(それでも無理なら2回で止めておくべきでしょう)。
「復讐だよ」という台詞も2回言っていましたが、2回目がウケていなかったので同じことが言えます。途中で河本が言った「ぷよぷよ」や「予習」のボケも漫才全体の流れとは関係がない(そのうえ前者は大してウケていなかった)ので、ない方がいいと思います。
それと河本は全体的にカミ気味でした。井口からツッコミが入るわけでもなかったので、良くないです。
<ファイナルステージ>
1.見取り図
1本目と違って去年みたいに2人でケンカをするしゃべくり漫才でした。やっぱり盛山の声質はガチのケンカに合っていません。1本目みたいに多少戸惑いながらツッコミを入れるキャラクターの方がハマります。
だから1本目よりはハネきらなかったですね。「カバー」や「マロハ島」みたいな伏線を入れていたのは良かったですが。
それと、2人が地元のディスり合いの時に出したライターと成人式のエピソードはおそらく完全な嘘なんですが、そのわりにつまらなかったです。嘘をつく からにはもっとウケ切って欲しいです。
2.マヂカルラブリー
1本目と同じ感じで野田が動きまくるネタでした。特に追加で言いたいことはないですけど、よくウケていました。
3.おいでやすこが
こちらも1本目と同じ感じでしたが、ウケは1本目より少なかった感じがします。個人的には、もう小田のツッコミに飽きてしまっていた感じがします。大声だけであんまりワードセンスとかがなかったからだと思います。
<総評>
最後に残った3組は確かにどこかが図抜けているということもなく、審査員の票は割れていました。見取り図とおいでやすこがは1本目より失速していたので、それはマヂカルラブリーにとっては幸運なことだったと思います。
野田のキャラは筋肉とバカなんですが、今後テレビで売れるにはキャラがかぶっている春日や庄司やきんに君といった強敵と伍していく必要があります。難しそうですが頑張ってください。村上の方は全くキャラが見えてきません。何か見つかるといいですね。
見取り図は・・・。何回もM-1の決勝に来てはいる以上、テレビでの使いどころがはっきりしているのならばもう売れているでしょうから、色々難しさはあるのでしょう。まあこれに懲りずにやってください。
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企画者の名ばかりが喧伝されてしまったのはドラマ『共演NG』(テレビ東京)にとって不幸なことであったのではないか、と全6話を見終わって思う。
懇意のドラマプロデューサーから、
「『共演NG』は業界人は先読みできて面白いと思います。ドラマ外野の人でなければ躊躇する企画。一般視聴者がどこまで面白がれるかは疑問」
とのメールが来たので、定額制動画配信サービスParaviでの後追い視聴で見た次第。
日本一小さな在京キー局・テレビ東洋(略称:テレ東)が社運を懸けて、大人の愛を描く大型恋愛ドラマ『殺したいほど愛してる』を制作する事になった。作品は大物実力派俳優の遠山英二(中井貴一)と大物人気女優の大園瞳(鈴木京香)が出演する大人の恋愛ドラマ『殺したいほど愛してる』。世間の話題は内容よりもこの2人が「共演NG」なことにある。2人は、25年前に共演した大ヒット恋愛ドラマ『愛より深く』で実際に恋愛関係へと発展したが、遠山の二股が発覚したことで破局。それ以来、公然の共演NGとなってしまっていたのだ。
仕掛けたのはNetflixなどで活躍するショーランナー(すべての実権を握る現場総責任者、アメリカのドラマ現場で生まれた職種である)の市原龍(斎藤工)。製作総指揮・脚本・広報の一切を仕掛けるいわば黒幕である。
さて、ここまでの設定があれば、コントなら後は役者の芝居で転がって行くと思われる、優れた設定である。だが、この設定は業界の黒い裏側にもふれるものであるし、触れなくては、軟弱なコメディになってしまうという危険をはらんでいる。面白さが危険に勝って、番組が成立することはないテレビ界である。だから、なりふり構わず、売り上げを上げたいテレビ東洋(テレ東)でなければ、この企画は着地しない、と大抵の業界人なら理解するだろう。テレビ東洋と、テレビ東京のアナロジーがこのドラマに真実味を与える。
では、なぜ、「『共演NG』=劇中劇としての『殺したいほど愛してる』」は、テレビ東京の連続ドラマとして成立したのか。その背景を推測してみたい。
製作著作は「共演NG製作委員会」であり、テレビ東京本体ではない。製作委員会とは、制作資金調達の際に、単独出資ではなく、複数の企業に出資してもらう方式のことである。通常この製作委員会には、テレビ局、広告代理店、製作会社、スポンサー、芸能プロダクション、商事会社などが名を連ねる。責任を分散するのはもちろんだが、収益も出資比率によって分配される。これまで番組と呼ばれていた物はコンテンツと名を変えてマネタイズされてきたので、この製作委員会方式は今後ますます増えるだろう。
通常、テレビ局で最も権限があるのは、番組の着地を決定し、予算配分を決める編成局である。しかし、『共演NG』での編成局の関与は着地を追認するなどの小さなものであろう。恐らく営業局が編成局の頭越しにまとめた企画である。ドラマ中でも編成局の人間は主要な登場人物にはならない。編成が強大過ぎると、製作現場の創作意欲を削ぐことになるが、弱すぎるのも、テレビ局の存在意義を問われることになる。
『共演NG』の演出を担当したのはCX系列のフジクリエイティブコーポレーション(FCC)である。演出家は大根仁氏、フリー。脚本は樋口卓治氏、バラエティ番組出身である。樋口氏は、バラエティ番組の裏側も熟知しているので、脚本にはその当たりのネタも描き込まれている。
芸能リポーターの横暴ぶりも描かれているが、今ここは業界と持ちつ持たれつなので、このような修羅場は起こりえないだろう。きちんと芸能を評論する力を持つ芸能ジャーナリズムというのは今はないと断言しておこう。
中井貴一と鈴木京香は措いておき、『共演NG』のなかですばらしい芝居をした人を2人挙げておく。
昭和から平成にかけて時代劇俳優として人気を博した出島徹太郎役を演じた里見浩太朗。コントで良くやる時代劇口調が抜けないで現代劇に出てしまった俳優を演じるが、ぎりぎりのところでコントになるのを止めているのはさすがである。
毒舌のアシスタントプロデューサー・楠木美和を小島藤子は得な役をもらった。ドラマ好きで情熱家で自分に正直で、という与えられた役をのびのびと演じていた。使いたくなる女優さんだ。
最後に、日本ではほぼ存在しないショーランナーを市原龍を演じる斎藤工。『共演NG』を成立させた目的は何か、それがサスペンス調で描かれるが、欲張りな物語である。
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マンザイは出来ないナインティナインが、とくに笑いをとることもなく淡々と進行をし、殿堂入りしてマンザイはもうやらないビートたけしが最高顧問としてコメントをする2020年の『THE MANZAI』が、23組のマンザイ師を集めて行われた。出場の23組は番組スタッフが、2020年12月時点で最もおもしろい、腕のある漫才師を集めましたと言うことだろう。
コンテストでチャンピオンを決めたり、色々迷いまくっていた番組の形式だが今年になって、ようやく純粋にネタの面白さを楽しめる、無駄を排除したとても見やすい番組になったように思う。10年後に「2020年のベストのマンザイ師は誰だったのか?」を調べるにも役に立つかもしれない。
出場メンバーを登場順にあげておこう。
<19時台>
【アンタッチャブル】山崎弘也(44歳)、柴田英嗣(45歳)。山崎の瞬発力はアドリブでこそ発揮されるのであって、作り込みしすぎはもったいないと思った。
【ミルクボーイ】内海崇(34歳)、駒場孝(34歳)。昨年のM-1で、優勝したネタのリターン漫才。駒場が振るオカンが忘れた名前とその特徴に対する、内海のツッコミ。飽きられる宿命を持ったネタだが、内海の偏見がエスカレートしていて面白い。
【かまいたち】山内健司(39歳)、濱家 隆一(37歳)。この2人はキングオブコント2017で優勝しているが、しゃべりがメインなので、マンザイに専念したほうがよいのではないか。マンザイでは破綻がない
【ナイツ】塙宣之(42歳)、土屋伸之(42歳)。土屋のツッコミが上手くなっていると、ビートたけしが褒めていた。それにしても、ビートたけしは数えるほどしか言葉を挟まない。感想が編集でまるまるカットされているところもあったのだろう。ナインティナインも特に振ることもない。
【パンクブーブー】佐藤哲夫(44歳)、黒瀬純(45歳)。筆者は佐藤の風貌がすきだ。この人はフラがあるので普通のことを喋ってもにんまり出来る。商談の設定のマンザイ。もし君が〇〇だとしたら・・・設定マンザイはネタがつくりやすいのだろう。8割がたが設定マンザイだった。
【銀シャリ】鰻和弘(37歳)、橋本直(40歳)。桃太郎異聞。
【ミキ】昴生(34歳)、亜生(32歳)。プレマスターズ(予選)を勝ち抜いての登場。面白い、二重丸だ。
【博多華丸・大吉】華丸(50歳)、大吉(49歳)。「この番組に出るのは(マンザイの)免許更新に来るようなもんだ」と、言っていた。スタッフはこの言葉を大切にすべきだ。マンザイ免許の更新、それが番組のコンセプトであるべきだと思う。
<20時台>
【サンドウィッチマン】伊達みきお(46歳)、富澤たけし(46歳)。風呂に入ったり、バスでくいもの屋を探したり忙しいのに、ネタ作りやネタ合わせをしているのには頭が下がる。そのあたりが好感度も高い理由だろう。筆者は、2人ともがたい(図体)がデカすぎるのがこのコンビの弱点だと思っている。扮装が似合わないのである。
【霜降り明星】せいや(28歳)、粗品(27歳)。ネタがサザエさん異聞だったのはなんにしても残念だ。粗品は司会も上手い。起用されるケースが増えてくるだろう。テレビを中心にという考えが彼らにはあまりないのではないか。
【テンダラー】白川悟実(50歳)、浜本広晃(46歳)。関西では向かうところ敵なし。その匂いが漂っては来るが、嫌いではない。ビートたけしはもうギャグでは笑わないが、やる方はそれを気にする必要はない。
【海原やすよ・ともこ】やすよ(45歳)、ともこ(49歳)。姉妹マンザイ。姉妹で群を抜くマンザイを見せたのはかつての海原千里・万里(千里は上沼恵美子)だが、吉本興業はこの2人を後継者として推そうとしているのだろう。何組かいる『THE MANZAI』6回全登場のひと組である。容姿をいじるマンザイでないのは大変好感が持てる。
【和牛】水田信二(40歳)、川西賢志郎(36歳)。安定感抜群。無冠の帝王で良いではないか。結局生き残るのは彼らだ。
【ウーマンラッシュアワー】村本大輔(40歳)、中川パラダイス(39歳)。ほぼ、村本ひとりしゃべりのスタンダップコメディ。村本はアメリカのスタンダップコメディアンを理想としているようで時事ネタの内容とキレは爆笑問題の太田と互角。後は好き嫌いだ。
【ブラックマヨネーズ】小杉竜一(47歳)、吉田敬(47歳)。5年ぶりのマンザイだそうだ、もったいない。楽しそうに漫才をやるところが彼らの真骨頂だ。ネタの切れもセンスも良い。
【タカアンドトシ】タカ(44歳)、トシ(44歳) 電車でおじいさんに席を譲るネタ。ありがちなネタだが、腕で持っていくことが出来るようになった2人。
<21時台>
【千鳥】大悟(40歳)、ノブ(40歳)。独特なフラを持つ、筆者も好きな2人。この2人は何もネタを持たず、突然舞台に出てもマンザイが出来るだろう。アドリブが見たい。
【NON STYLE】石田明(40歳)、井上裕介(40歳)。家事代行サービス。マンザイだからこそ出来るネタ。コントでは無理。
【おぎやはぎ】小木博明(49歳)、矢作兼(49歳)。テンション低いのがウリ。コンプライアンスネタ。好きな人はすごく好きだろう。
【笑い飯】西田幸治(46歳)、哲夫(45歳)。WボケWツッコミの発明者。今回もWボケWツッコミでのネタだったが、これはテンポがどんどん早くなるのが、見世物だと思うが、期待大だっただけに今ひとつだった。
【とろサーモン】久保田かずのぶ(41歳)、村田秀亮(41歳)。久保田は瀬戸わんやさんみたいだ。芝居が出来る。この人をコントに起用したい。
【中川家】剛(50歳)、礼二(48歳)。この位置に出る人を寄席の香盤では「膝替わり」と言い大変重要な役目だ。大トリのドッカーンを邪魔しないように、しかも笑いを鎮めないようにしなければならない。マンザイの実力で、今、中川家にかなう者はいないだろう。普通の雑談のように始まって、いつの間にかマンザイになっている。これが出来るのは中川家だけだ。しかも、途中で吹いてしまうのは、どちらかが予定にないくすぐりを入れたのだろう。それでも、マンザイとして絶対に破綻しない。ラジオの「宗教の時間」が抜群に面白い。お兄ちゃん剛のアドリブだ。
<大トリ>
【爆笑問題】太田光(55歳)、田中裕二(55歳)。ビートたけしは爆問に優しい。雰囲気が良く、客席もあったかくなる。「鬼滅の刃」。
『THE MANZAI』は芸人にだけ「進取の精神」があれば、いつまでも続く番組になるだろう。たけし賞は、「いい加減にやっているようだが面白い」受賞理由の中川家であった。「いい加減にやっているようだが面白い」これがマンザイだと筆者も思う。
所詮マンザイ、これが芸人の矜恃だ。
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近頃、コントを中心とするエンターテインメント番組が増えている。コント好きにとっては嬉しい限りだ。11月23日(勤労感謝の日)夜9時からのNHK「コントの日」を見た。2018年11月に始まったコント番組で今年で3回目だそうだ。
最近のコント番組はすべて見るようにしているが、その中で、この「コントの日」は、最もコントのエッセンスを確実に捉えた優れた番組だったと思う。なぜ優れていたか。
*演者がきちんと芝居が出来る芸人ばかりであった。顔を必要以上にゆがめたり、面白そうな顔をしたり、そういうことでしか笑いのとれないものはおらず、普通の芝居で持ちこたえられる実力者たちである。
*台本がしっかり書き込まれている。これは重要なことだが、現場では反対のことも生じる。きちんと書き込まれた台本を、台本通りやったのでは笑いは取れない、台本を演者が解釈してその場限りのアドリブを繰り出すことが出来ていた。
*リーハーサルをやっている。稽古なしで臨んだ方が面白い人もいるが、たとえば明石家さんまが間寛平とコントをやるときは綿密な稽古が行われている。
ひとつひとつのコントを見ていく。
ロバートで唯一コントの出来る秋山竜次が主婦役。スーパーに買い物に来てたくさん野菜などを買ったがビニール袋の4円が払いたくないので、ストッキングにまで詰め込もうとするコント。
設定とも言えない普通の出来事だから、見せ場は秋山がどうやって物を持てるようにつめるかである。この時、迷惑がる店員のリアクションが大事である。「やはりフクロご用意しましょうか」というような客側に立った発言は構わないが、明らかに客をとがめる「世間話はいいですから(早く詰めて下さい)」という発言は決してしてはならない。とがめるくらいなら客を排除すればいいのだから、客が第一で、それが出来ないから、秋山の主婦をずっと相手していなければならないのである。根本の設定を崩壊させてしまうセリフは、編集でカットしてあげるべきだ。それがディレクターからのメッセージだし優しさだ。
アニメでつくったタイトルはセンチメンタルで非常に良い。ガチャガチャしたコントには美しさを。
フルーツケーキで毒殺されたかも知れない被害者。その犯人を推理する4人の刑事。刑事のリーダーである劇団ひとりは刑事ドラマのパロディをやろうとしてしまったのだろうか。パロディとコントは違う。芝居が大仰で見ていられない。松本穂香のセリフは普通で、劇団ひとりが過剰となると、コントだよ、面白くなくても笑え、と言われているような気になる。
ロボットのマジメカ ふくろうのズブズブ、新川優愛の女の子アリスによる森の童話風コント。ロボットのマジメカを演じるロッチ中岡創一を動きにくい作り物のロボットの中に入れたのは名案。この人は普通の立ち姿が決まらないことがあるので、これで安心。ズブズブとアリスは心の中にもっとどす黒い者を抱えている設定だと思ったのだけど・・・。
ステイホーム中の趣味が高じて、家をラーメン屋にしてしまった上司。ネタバレしてからの東京03角田晃広の哀愁の芝居が大きすぎる。哀愁はもっと小さく忍び泣くくらいに悲しい。
公園の東屋で雨宿りをしているロッチの中岡。こういう場所設定を与えるだけで中岡の立ち姿が決まるというのは不思議なことだ。そこへ、怪しい風体のおじさんが来る。こういう役をやらせたら今日本で一番上手な空気階段の鈴木 もぐらである。もぐらは、今指しているビニール傘を「後はモモタロウの散歩をさせるだけだから」という理由で、傘のない中岡に貸そうとする。だが条件は「これを恩に感じてもらって子どもの名前を付けさせてもらいたい」と言うのだ。
しかも、モモタロウは実はトウモロコシだと分かる。当然断る中岡、次にやってくるのは、ずんの飯尾和樹。最後にやって来た女は予備の折りたたみ傘を貸そうと言い出す。初めてのまともな人物の登場に中岡は借りようとするのだが・・・。というコントだ。このコントは、最初の台本上、ずんの飯尾は登場しない設定で書いてあったのではないか。大変切れのいいオチがついていたのである。笑いは欲張ってはいけない。笑い乞食になるなと言う戒めがある。
今回のコントの白眉は、かつて、バンド、ブルー・トパーズを結成していた4人のおばさんが観光にやって来て、たまたまいた東京03の飯塚悟志に写真を撮ってもらおうとする。しかし、ブルー・トパーズの4人はつい昔の癖が出てジャケット写真のポーズをしてしまうコントだ。カメラをかまえる飯塚が喋りすぎ。ここは一切喋らないくらいの方がいい。
後は、ビートたけしのコントである。打ち合わせを重ねていくと、どうしても、フリップを使ったしゃべりコントになってしまうのは仕方のないことかも知れない。もう動きたくないし、動きでは若手に負ける。このコントの時はたけしに対するツッコミ、いや、ツッコミというより「否定」が必要なのだが、それを言える人は日本の芸能界に1人しかいない。次回「コントの日」をやるなら殿堂入りしてもらってはどうか。ハナ肇さんはむかし、銅像になっていた。
今回、もうひとつ残念だったのは大ファンのハナコの岡部大の活躍が少なかったことだ。提案が許されるなら、インパルスの板倉、ドランクドラゴンの塚地 武雅との組み合わせを見てみたい。
さて、ここまでコントの質が上がってきたなら、後は音楽である。今回は竹内 まりやがほんのちょっと手伝ったらしいが、音楽ときちんとジョイントすれば日本では絶えて久しい「テレビショウ」が完成する。ダンスも必要だ。
最後に私の大きな疑問をひとつ。この「コントの日」と『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』が同じ演出陣でつくられていることは不思議でしょうがない。
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11月23日祝日の昼0時からテレビ東京で放送されたテレビ愛知・吉本興業製作著作の特別番組「ジャルジャルンルン気分」。55分間、全部コントで、しかもプロの演者は2人だけで通してやろうという意欲的な企画である。
まず褒めたいのは、この企画を通したテレビ局の勇気である。なんにしろ、チャレンジングな企画が少なくなっている昨今のテレビ業界の中で、その希有さが賞賛されるべき番組である。
公式ホームページには以下のようにある。
「キングオブコント王者ジャルジャルの人気コントキャラが街中に!一般人に溶け込み変幻自在のコントを仕掛ける!ハマる事間違いナシ…最も見てみたい奴らの卓越コント集!」
後藤淳平と福徳秀介のジャルジャルはネタ作りに大変情熱を傾けるユニットだと聞く。売れると、ネタ作りをやめ、フリートークでお茶を濁す芸人が多い中、このネタの量産ぶりは、何物にも代えがたい彼らの生きる道である。それらコントから生まれたキャラクター「タメ口レポーター」や「角刈り高校生」がロケコントに挑戦した。
すでにあるキャラクターの設定を違う状況の設定に放り込むわけだ。元々計画されたコントで動くキャラクター設定だからこそ面白いのに、敢えてそれを捨てるのだから、元のコントに倍する面白さがないと、何をやっているのか分からなくなる難易度の高い挑戦だ。
それを情報番組風の包装紙で包む。まず、この包装紙は残念ながらありきたりである。受けなかったロケコントを、キャスター部分で救うという試みで、よくこの方法は使われてきた。だが、エンドロールに企画・ジャルジャルと出すからには、もう少し考えても良かったのではないか。アメリカのコント番組で、倒産寸前のテレビ局のコント番組という設定を見たことがあるが、この設定はいろんな場所でギャグにつながっていた。
[参考]<上から目線の辛口批評>テレビ朝日の『お助け!コントット』
キングオブコントの決勝にかけた「どんなヤジにも屈しない新人歌手」が、生歌を披露するコント。生歌ではヤジが飛ばないので、歌えなくなる。こういうときは見る方に疑問を差し挟ませないようにすることが必要だ。なぜ、生歌ではヤジが飛ばないのか、それがちっとも分からない。マネジャーが飛ばせばいいではないか。
前にも言ったかも知れないが、このネタはストーリーが前に進まない。さらに、エスカレートもしない。同じことを繰り返しているだけである。同じことを繰り返すコントを、かつての浅草の軽演劇コントでは「天丼」と呼んだが、「天丼」は繰り返すだけではない。繰り返す度に前に進む、エスカレートする、三回目の繰り返しの時には変える、などの決まりがあった。
考えるに、後藤はひとつのパターンのボケしか出来ないのではないか。
寿司屋にきた「タメ口レポーター」も同じ所をぐるぐる回る、メリーゴーラウンドだった。メリーゴーラウンドも回転寿司も同じものだけが回ってきたのではつまらない。
けん玉の世界一周に100万円を掛けてチャレンジする後藤。この時は後藤は失敗するのであるが、失敗する芝居をする時は、「失敗する」を演じてはならない。「成功する」を演じて、失敗するのである。
ジャルジャルの大きな課題は、芝居の巧拙だ。どこか、大阪の小劇団にでも客演して、芝居をやってみるというのはどうだろう。ジャルジャル目当ての客はたくさん入るだろうから小劇団も嬉しいだろう。芝居がもう少し上手くなれば、ドラマの仕事もたくさん舞い込んでくるに違いない。コントファンとしてはドラマには行かず、コントで踏ん張って欲しいけれど。
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10月31日放送の『ブラタモリ』「網走〜『最果ての地』網走は『理想の地』!?〜」は、前回の「伊豆大島編」に比べて、非常にできが良かった。その理由は綿密な下調べの結果を非常に適切にタモリに提示した成果であると思われる。
タモリはテレビタレントとして大変希有な資質を持つタレントである。大抵のテレビタレントは(特に大阪系の芸人は)何が何でも自分に与えられた番組企画を、何とか、面白いものにしようと最大限の努力をするが、それはもちろん、つまらなく仕上がってしまったら自分自身の人気に跳ね返ってくるからである。それがかなわないと判断するとスタッフの「準備が拙い」と怒って帰ってしまう大物然としたタレントさえいる。
ところが、タモリはそのどちらでもない。
自分に与えられた企画や情報がつまらないときは、そのままつまらなくやっても平気だし、面白いときはそのまま面白くしてくれる。そういうタレントである。肩の力が抜けているとも言えるし、所詮テレビなんかと思っているフシも覗える。このやり方はテレビを見る者の感情を邪魔しないし、そこがタモリの魅力だという人も多い。
これを言い換えれば、タモリがやるとテレビの作り手の巧拙が番組にストレートに出てしまうとも言える。網走編はそれがよいほうに出た放送回であった。
まず、網走監獄が『理想の監獄』だった秘密を博物館で探る。刑務所の設計は中央にそびえ立つ看守塔にたいし円形に収容者の個室を配置するパノプティコン形式などがあるが、網走刑務所はアメリカの刑務所設計家ジョン・ハビランドの「ハビランド・システム」を取り入れていることが分かる。監守が立つ監視所を全体の中心に据え、複数の収容棟が放射状に伸びている。これなら、少人数で全体が見渡せる。中央監視所に立ったタモリは見事にこのシステムを見抜く。
また吉村昭の長編小説『破獄』にも描かれた、脱獄王・白鳥由栄が、監獄の鉄の格子を破った方法についてもタモリは見抜く。このあたりのテーマ設定はタモリの興味関心のある分野を見事に捉えていて上手い。
脱獄囚が逃げ切りづらい刑務所の立地の秘密についても話が及ぶ。川、湿地、山岳、ヒグマの話まで出て、北海道に関する地理的な興味をも満足させてくれる。
筆者は、紹介する土地と人との関係が描かれない『ブラタモリ』は、非常に物足りなく思うのだが、それは何も「鶴瓶の家族に乾杯」のように、人と話せということではない。その土地に、なぜ住む人(人類は、とか、人間は、とか言い換えてもよい)が、居着こうと思ったのか、住んでみてその土地の特性から何を考えたのかを、描いて欲しいということなのである。
その点で、縄文文化はちがう「オホーツク文化」理想の地としての網走を描いた部分は今回の白眉であった。オホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太(サハリン)、南千島の沿海部に栄えた海洋漁猟民族。いわばオホーツク人とも言うべき人々が、南の温暖な地域として、周辺では最大の遺跡・網走の「モヨロ貝塚」に集まったのではないかという話は、古代のロマンを存分に感じさせてくれたのである。
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週に一度のお楽しみは、と言えば土曜日放送のNHK『ブラタモリ』である。「たけしのその時カメラは回っていた」に、差し替えになったときは、見る番組がなくなって一日張り合いがなくなった。
さて、10月17日、ロケ再開2回目の放送では新メンバーの浅野里香アナウンサーも参加している。これは期待はふくらむ。
だが、残念ながら、この日の『ブラタモリ』は、つまらなかった。理由は、番組の志を忘れていたからである。それが最初からの番組の志だったかは知らない。だが、番組が面白くなったのはこの志があったからだと思う。その志とは・・・「地形、地学、地政学、岩石学などと、人間の生活との関わりを描くことに主眼を置くこと」である。
この日はガイドさん、浅野アナと供に、タモリが伊豆大島の火山三原山を登る。冒頭、浅野アナが、タモリとずいぶん離れて歩いている。へばっているのかと思った。これではタモリのしゃべりを拾うことが出来ないだろう、と思っていたが、すぐ気づいた。social distancingなのである。テレビだから律儀に守るのが、もの悲しい。
その後は、三原山の火口と、流れ出た溶岩の成り立ちの違い。吹き上がった噴煙の高さ。北米プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートが交わる三重会合点に位置する伊豆大島の特異性。伊豆大島の東側一帯に広がる黒い火山岩で覆われた日本で唯一の地名「裏砂漠」。これらを丁寧に解説していくのだが、これでは「火山」の番組で『ブラタモリ』ではない。タレントが出ているだけで、教育テレビを見ているようだ。
人間との関わりがまるで、出てこない。火山という自然の驚異の前には人間など何ほどでもない、ということを言いたかったのか。ならば見せ方の工夫が他にもあると思う。さらに、この「裏砂漠」がGLAYや乃木坂46のMVに使われているとして、その映像を流すなどは、付けたしどころか、『ブラタモリ』では、余計な情報である。
「地形、地学、地政学、岩石学などと、人間の生活との関わりを描くこと」にもう一度、立ち戻って欲しい。
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