<原一男のゆきゆきて、シネマ>番組ゲストに紀里谷和明「ラスト・ナイツ」監督を異色の指名


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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メディアゴンからの依頼で「ニコニコ生放送」で番組をやることになりました。何かやりたいことがあったらどうぞ、という誘い。

元来、ノリのいいタイプ。「よし、オモロイことをやろう!」と即、ノッた。「ゆきゆきて、シネマ」。メディアゴンがつけたタイトル。これだけじゃちょっと寂しい、てなことを考えて“過激にトークを!自由にバトルを!”というサブタイトルを加えた。

さて、何をやるか?

原則、映画の話を。ホストはもちろん、私。その時その時の話題の映画を取り上げ、監督に来ていただく。俳優の場合もあるだろう。時には映画を離れることもあるだろう。とにかく、私の方の関心の赴くまま、ゲストを選び、2時間、ジックリ話そうという狙いだ。

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早速、記念すべき第1回目。ゲストは「ラスト・ナイツ」の紀里谷和明監督。

彼の方は、「何故、わたしを指名したのか?」と不安だったらしいが…もちろん私の方も候補は3〜4人あがってはいた。が最終的には紀里谷監督に決めた。

理由は…とにかくマスコミ媒体に出まくっていた!凄まじい量に。そこまで自作とはいえ、監督自らが宣伝に汗水垂らす監督は少ない、という理由で興味を持ったから。

日本人監督初のハリウッド作品ということで。私のスタッフが彼に関する記事をプリントアウトしたのだが、積み上げて10数センチ。まあ、膨大な数だが、その中で、「何とかという映像系の学校で学生相手に話していたのだが、あまりにどうでもいい質問に紀里谷監督が切れて怒鳴った」という記事を読んで、彼に興味を持った。若い頃、生意気だという理由で反感をかっていた…etc。それらの情報をまとめて、彼はオモシロそうだ、と思ったわけだ。まだある。

実は、彼の1作目「CASSHERN」と第2作目「GOEMON」の宣伝物のビジョアルを見たときに「なんと外連味(けれんみ・肯定的な意味です)のある作り手なんだ!」ととても印象に残っていたからだ。そんなアレコレの理由があって彼に決定した次第。

それから急いでAMAZONで「CASSHERN」「GOEMON」を買い求め、「ラスト・ナイツ」は映画館へと見に行った。集中して見るとその作り手の変化というものが実によく分かる。

彼の1作目「CASSHERN」は、ほとんどがCG。CGをバックに人間がちょとちょこ演技をしている感じ。第2作目「GOEMON」はCGが少し減って、役者の肉体が画面の主要部分を占めるようになる。

そして3作目「ラスト・ナイツ」はCGはほんの少しで全面的に役者の肉体でドラマを作り上げている。その変化が何を意味しているか?

観客論になるのだが、観客は映画に何を求めているのか?持論だが、観客にも当然だが欲望があり、映画をみることで観客自身が自らの生き方を問う、変えたい、変えるきっかけをつかみたい、いずれにしても、何かを激しく求めているのである。

だから作り手は、その期待に応える責務がある。その責務に答える表現とは、極端にいえばCGでは表現できないのだ。

やはり役者の肉体を通して、キチンと人間の感情を表現しなければ、表現しきれないはず。紀里谷監督のホップステップジャンプのこの3連作は、その課題のレベルアップしていくさまが如実に見てとれる。

「ラスト・ナイツ」に到っては、人間の感情を表現するという命題を強弱のリズムをつけつつ、細かく計算しながら全体を構成している。見事というほかない。監督として着実に腕をあげていっているのだ。

「CASSHERN」「GOEMON」はCGをふんだんに使い、外連味たっぷりの仕上げ故だろうと思うのだ。当時の日本映画には珍しかったからだ。

で、耳目をひき、ヒットしたという。が今回の「ラスト・ナイツ」はきっちり人間の感情を堂々と描いているのに、興行的には苦戦を強いられている。なんで? と思わず呻いてしまう。観客に見る目がないのか?

観客の質、感性が劣化しているのか?  呪いたくもなる。率直に彼に聞いた。「観客に向かって、お前ら見る目がないんか? と言いたくならない?」

彼の答え。「もっと、観客が圧倒されるくらいの凄いものを作るしかないですね」と。なかなか、こういう答えができる監督はいないと思うが、さておき、この答え、私は同感するのだ。

観客の欲望というものは、思っている以上に大きいのだ。その欲望に答えて満足させるには、作り手に求められるエネルギーは凄まじい質量を要求される。

この作品、5年間、精神を壊すほどに艱難辛苦があったというが、それでも、まだ足りない、ということになる。そのとおりなのだと思う。

その観客の欲望を凌駕してこそ傑作になり得る。言い換えれば観客の欲望が作家を育てる、とも言える。彼と話した感触では、彼は近々、傑作をものにするだろうなあ、という予感がある。

話は前後するが…せっかくの初の“ハリウッド作品”というからには、ハリウッド方式と我々が漠然と思っている“マスターショット方式”といわれる撮り方を紀里谷監督はどう消化して作り上げたかを詳しく聞いてみようと覚悟を決めて臨んだ。

膨大なマスメディアにも、その観点からの質問はなかったし。相当にしつこく質問を根掘り葉掘り繰り出したつもりだがイヤな顔ひとつせず答えてくれたが、彼は自分のスタイルを押し通したとのことで、感心した。常時2台のカメラで、撮影実数は50日。

この数字は、現場を知っている人は驚くに違いない。作品を見て、これだけの濃い内容を50日で撮りあげるなんて、と。現場での具体的な話を、ニコニコ生放送を見ている人が興味を持ってくれるかどうか不安だったが、どうなんだろう?

私は彼と話していて実に爽快だった。彼が率直に話してくれていると感じられたから。けっこう、彼にとっては“イヤ味チック”な質問にも、決してカッとなることなく、さらりと受け止めるという大人の対応。

いやあ、ホントに紀里谷監督と話せてよかったなあ、と感じている。再会を約束して別れたが、出会いの喜びを実感できる第1回トークでした!

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。