<日和っても視聴率はとれない>名優・佐藤浩市が感じるテレビドラマの窮屈さ


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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佐藤浩市さんは日本を代表する名優である、親しみを込めて浩市さんと呼ぶのを許していただこう。

その浩市さんが3月30日付の朝日新聞「テレビの時間」でインタビューに答えている。「 」の中は引用である。※( )内は筆者補足。

「ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残されていないんだろうか、冗談ですが、そんなことを口にしたくなるほど、テレビドラマの現状は方向性を見失っていると思う」

スポーツの世界ではもう長いこと「がんばれニッポン」のソフトしか視聴率が取れなくなっている。東京オリンピックが来るのが筆者は「うっとうしい」。

佐藤「若い視聴者におもねって失敗し、それならお年寄りも安心して見られるように医療ものと刑事ものに走った。でもどっちに日和ったところで数字(視聴率)はとれない。悩んでいないテレビマンなんて、いま一人もいないでしょう」

医者医者医者、刑事刑事刑事、ときどき恋愛。テレビ離れを引き留めるには、いや、ドラマ離れを引き留めるのはひとえにテレビマンの想像力にかかっている。

佐藤「(前略・昔は)イデオロギー性をはらむ、偏った番組(テレビドラマ)が放映される余地があった」

筆者は何でもかんでもテーマが必要という作り方にはくみしないが、志は必要だと思う。なにが言いたいのか一言で表現できるドラマ。もちろん、ドラマ以外のバラエティでも同じなのだが。

佐藤「いつしか、どこからもクレームがつかない安全な方向を向いていく。僕のドラマでも、昭和30年代の雰囲気を描こうと会議中に皆が喫煙したら、相当数のクレームが来たことがあって」

もうもうの煙の会議室。当たり前だった。テレビ局にはこういう、人から瑕疵と言われることを見つける名人がいる。たとえば音痴という言葉。

音痴の痴は「おろか」と言う意味だから使うのはよろしくない。コンプアラインスの罠にひっかっる。「メロデイの不自由な人」とでも言えばいいんですか。いや、それは正しくない。正しくは「メロデイとリズムとハーモニーの不自由な人」だ。

「殿一大事!」と言わんが如く、建設的な意見を含まないクレームだけをつける風潮が蔓延しだしたのはいつのことだろうか。

「僕は映画とは別にテレビドラマにやれることがあるという希望を捨ててはいない」「俳優おなじみのイメージを安易に反復せず、視聴者を裏切って良い」と語る浩市さん。そこまで言われれば、浩市さんのドラマだけは見ようと思ってしまう。

筆者も構成を担当した番組「戦後70年 千の証言」(TBS)のことも語っています。

佐藤「反戦メッセージなどいうつもりはない。(中略)どんな心境で戦地に赴いたのか、肉声を聞きたかった。役者としての欲求で受けた仕事です」

浩市さん、生意気を言うようですが、あの番組が浩市さんの役者としての糧となったのであれば、筆者はこの上なくうれしい。

 

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