<地下アイドル刺傷事件に想う>テレビはウソをつくか?それとも・・・。


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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「テレビはウソをつくか?」

この問いに対する答えは「ウソをつく」である。どのくらい「ウソをつくか」というと、ごくふつうの人が「ウソをつく」程度には「ウソをつく」のである。

では、どのように「ウソをつく」のか。

たとえば、次のようなケースを思い浮かべてみる。地下(テレビには出ない)アイドルの刃傷事件があった。地下アイドルの実情取材を命じられたディレクターはある仮説を立てる。

「今、アイドルとファンの位置が近すぎることが問題なのではないか。それが刃傷事件に発展するのではないか。」

この仮説を立てるまではよい。仮説の立てられないディレクターはタダの木偶(でく)の坊だ。だが取材を進めていくと、往々にしてこの仮説は粉みじんに打ち砕かれる。科学の世界も同様だが、仮説がそのまま「真実」になる可能性は非常に低い。

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打ち砕かれてからが、ディレクターの腕の見せ所なのだが(サイエンスの世界でも、仮説が破綻してからがその力量が問われる)、ここに「ウソをつく」という陥穽が口を開けて待っている。

仮説が破綻したディレクターは色々と考えるはずだ。

「地下アイドルの実態を取材できないか」

「できれば、今現役の地下アイドルが良い」

「ヤラセは絶対にダメだぞ」

「何?見つかった?直ぐアポを取れ」

現役地下アイドルへのインタビュー取材が始まった。

「2年くらい前は、ファンの人と一対一であったこともありました。今はそういうことはしていません」

ディレクターはこの証言が取ることができれば、思わずほくそ笑むだろう。そして編集が始まる。現役地下アイドルのインタビューを見ているウチにディレクターの心に悪魔が忍び込む瞬間だ。

「『2年くらい前は』と『今はそういうことはしていません』をカットしよう。その方が『インパクト』がある」

あるいは、こういうケースだってあるだろう。

「『2年くらい前はファンの人と一対一で会ったこともありました。今はそういうことはしていません』というが、なぜ2年前は行われていたのか、なぜ今はやらないのか、そこに事件の本質が潜んでいるのではないか。」

いろいろと考え、結果的に「このまま全部証言を使おう」となったとする。しかし、そこに、プロデューサーができあがった作品の事前視聴(プレビュー)にやってくるわけだ。

「なんだよこれ、やってたのは昔で今じゃないのかあ。切ろう切ろう(カットしよう)。『2年くらい前は』と『今はそういうことはしていません』を切っても、やってることはやってるんだからウソにはならないだろう」

・・・と。上記二つのケースは、どちらも「テレビはウソをついた」ことになる。

他にも「潜入取材」というものがある。潜入でも何でも無く、出来レース取材をナレーションが潜入取材とあおり立てるものも目につくがそれは論外。たとえば、メキシコの麻薬地帯への潜入取材と銘打ったドキュメンタリーを装ったバラエティ番組の映像。なぜ、麻薬地帯の中では比較的入国しやすいメキシコなのか。見る方には懐疑の心が必要だ。

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その映像の冒頭にインパクトのある素材が欲しいと言われたとする。たまたま、おあつらえ向きの映像があった。例えば、パトカーの警察官が高速道路の脇に転がる死体(?)を検証している場面などだ。

「これを使おう」

と判断する時、この映像はあくまでイメージ映像である。実際にそれが麻薬と関係あるかどうかはどうでもよいのだ。よしんば麻薬と関係ない死体(?)であったとしても、そのことに触れなければよい、と考えてしまう。

「余計なことは言うな。このドキュメンタリーは血で血を洗う麻薬地帯の潜入取材なんだ」

このようなケースであれば、「テレビのついたウソ」ではないと判断されるかもしれない。しかし、筆者は「麻薬と関係ない死体(?)」という内実をもし、聞かされていたら、絶対に死体(?)映像の使用は認めたくはない。究極的には、誠実さの問題だろう。

「テレビはウソをつく」が、大多数は「ウソをつかない番組」であることも事実。冒頭のように人に置き換えて考えてみれば、「人はウソをつく」が大抵は「取るに足らないうそ」だ。「他人の心を傷つけるようなウソをつく」人間は信用しないし、されない。

 

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