都知事選の候補者ポスターは、なぜ一部しか貼られていないのか[茂木健一郎]

政治経済

茂木健一郎[脳科学者]
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都知事選の真っ最中であるが、ふしぎなことがある。私が見る掲示板のいくつかには、長らく「主要候補者」3名のポスターしか張っておらず、ようやく、ぽちぽちと、他の候補者のポスターがはられるようになったが、それでも全部揃っていない。
日本の選挙にはいろいろ謎がある。まず、なぜ供託金があれほど高いのか。それから、ポスター貼りが候補者の責任になっていること。供託金を払っているのだから、その分、選管の方で貼るくらいやればいいと思うのだが、なぜか、「自己責任」になっている。
たまたま、いくつかの選挙を身近で見る経験があったが、驚いたのは、選挙に「金がかかる」と良くいうが、本当にトリビアルなことでかかっているということ。事務所台、選挙カー、はがき、ちらし、ポスター張り。そのようなちまちましたことの積み重ねで、あっという間にお金がかかる。
【参考】<選びようがない都知事選>76歳の記者・鳥越俊太郎、クールビズ・小池百合子、単なる官僚・増田寛也
結果として、お金のある人か、組織を背景にした人しか、選挙ができない仕組みになっている。既得権益者はそれでいいのかもしれないが、広く有為の人材を得る、という有権者の視点から見れば、参入障壁が高すぎる現行の選挙制度は大いに疑問がある。
イギリスの選挙結果の発表などを見ていると、タウンホールなどに集められて、候補者一人ひとりの得票が発表される。あれを見ていると、それぞれの選挙事務所で万歳三唱、というのがない、というか、そもそも事務所がないんじゃないかと思う。
日本の選挙は金が掛かり過ぎるとは以前から言われていることだが、改善するには選挙文化を根底から変えなければならないと思う。ポスター張りくらい、公的にやったらいい。それをやらないでお金がうんぬんと批判するのは、最悪の意味での偽善だと私は思う。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 
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