都知事候補・鳥越氏が国会前で非核の訴えたことは良いことだ[茂木健一郎]

政治経済

茂木健一郎[脳科学者]
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鳥越俊太郎さんが、国会前で「非核」を訴えられたということだけれども、大いに結構なことだと思う。「非核」が核兵器のことなのか、あるいは原子力まで含むのかわからないけれども、政治的主張としては誰かが主張していて良い。
政治は一つの生態系であり、そこに、スペクトラムとしてさまざまな意見があるのが健全である。たとえ、多数決ではある立場が主流になっていたとしても、別の立場の政治的意見がきちんと主張され、存在が認識されること自体に、民主主義の中の意義がある。
先日、BBCのニュースを聞いていたら、トライデント(スコットランドに基地がある、潜水艦から発射される核ミサイルシステム)の継続が可決された。労働党の一部を中心に反対もあった。コービン労働党党首は、反対の立場から、論陣を張った。
【参考】都知事選の候補者ポスターは、なぜ一部しか貼られていないのか[茂木健一郎]
「あなたは、罪もない一般市民を殺戮する核ミサイルのボタンを押す準備があるのか?」と聞かれて、メイ首相は「イエス」と答え、それから、「核の抑止力の大前提が、それだから」と答弁した。核保有国の首相の回答としては、「模範」ではあるのだろう。
核の存在は現実だが、一方で、それを廃絶する、という政治的なメッセージはあって良い。まして、唯一の被爆国である日本が主張しないで、誰が主張するというのだろう。日本がアメリカの核の傘の下にあることは事実だが、それを踏まえた上で、もっと主張して良い。
非核にせよ、格差の是正にせよ、同性婚にせよ、日本の政治的言論の幅は近年狭すぎると感じる。現実というしがらみにとらわれてしまっているのである。ある政治的主張をしても、どうせ、それが実現する可能性は高くないのだから、それが役割だと思って、強く、純粋に主張して良い。
鳥越さんの「非核」の訴えは、案の定、ネット上で揶揄の対象になっていた。ネットという言論空間が、常識、世間、しがらみを固定化する安定化装置になってしまっている今、そういう凡庸を突破して、新鮮な視点が提供される政治的主張は、もっともっともっとあって良いと、私は強く感じる。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 
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