創造者が自分から離れて「世界に欠落するもの」を埋めるアプローチ -茂木健一郎


茂木健一郎[脳科学者]

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<創造者が自分を離れるということ>

創造者が、自分から離れて、世界に欠落するものを埋めるアプローチをとるときに、取りうる一つのやりかたがあって、それは対象物の「発見」と「創造」を近づけることである。

ミケランジェロは卓越した技術をもった彫刻家だが、バチカンにある古代ギリシャの傑作ラオコーンが、ミケランジェロによるものだという説がある。専門家からは否定されているが、興味深い論点がある。

ミケランジェロの頃も、古代ギリシャの彫像は高く評価されていて、実際にそのような彫像をつくって売る、という需要があった。ミケランジェロが、自ら彫ったものを、自分の作品ではなく、古代ギリシャの彫像だとして世に出すというイメージには、何ともいえない魅力がある。

デュシャンの『泉』は、すでにあった便器を買ってきたというのが定説だが、デュシャン自身が造形し、焼いて、それをありもの(ready made)として出したという説もある。真偽は別として、興味深い仮説である。

創造者が、自分を前面に出すのではなくて、むしろ一歩引いて、これは古代ギリシャの彫像だとか、売っていた便器であるなどとして世に出す。そこに表れているある態度が、創造性の本質にかかわっている。

【参考】<創造性と時代精神>モーツァルトと同じ音楽を今書いても評価されない

漱石は、『夢十夜』で、運慶が彫刻をつくっている様子を見て、あれは彫っているんじゃなくて埋まっているかたちを掘り出しているだけだ、という話を書いているが、創造者が自分をはなれるということの一つの理想が描かれている。

<時代から欠けているものを感じる >

創造物が世界に受け入れられて大切なものになるためには、自分の個人的な感情や欲望から離れて、時代精神の「穴」のようなものを認識してそれを埋めなければならない。世界というジグソーパズルの欠けたピースを見つけるのだ。

自分がほしいものは、すでにあるもののコピーであることも多い。それでは、冗長性が増すだけである。欠けているものを探すには、時代の欠落を感じなければならない。

世界の中に流通しているものを、感じて、認識し、自分の中に映し鏡として取り入れる。その上で、自分の感覚に照らして、欠けているものを感じ、かたちにする。その時、その人は意味ある創造のすぐ横に立っている。

私たちは、自分の中に、世界のコンパクトなモデルをつくる。そこに、さまざまな趣向、意志をもった他者の群像ができる。その群像が動いて、実際に世界が動くようなダイナミクスがシミュレーションされる。

そのシミュレーションの中に、何か欠落したものがある。口さみしい。ものたりない。これがあれば、一気に満たされるのに、という何かを見つけて、それを表現できれば、その人はすぐれた創造者となる。

欠落しているものは、時代相対的なものもあれば、時が経っても変化しないものもある。人類の歴史の最初から欠けているもの。それを埋めることができた人は、創造者として永遠の命を得る。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。