<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産③僕は司会が苦手です。


高橋秀樹[放送作家]

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「萩本欽一インタビュー」その②はこちら

6年間の雌伏時代を経て。大将(萩本欽一)は昭和41年に5歳年上の二郎さん(坂上二郎)と「コント55号」を結成する。大将25歳、二郎さん30歳の時である。

この不世出のコンビは、日劇出演を経てテレビに進出、『お昼のゴールデンショー』(フジテレビ月〜金正午からの30分番組)に抜擢され連日新作コントを演じて、瞬く間に頂点に駆け上る。その人気の凄まじさはアイドルに対する熱狂と同じだった。この時代の話は後述するが、コント55号の人気が沸騰するのと平行して大将には司会やリポーターとしての仕事が舞い込むことになる。

「『世紀のびっくりショー』という八木治郎さん司会の番組だった。僕は外からのびっくり人間の中継リポーター。『これから始まります』って、前枠をつけて、イベントが終わったら『以上です』って、スタジオに返す。それだけ。僕は面白いことが何にもできない」

「司会もこのリポーターと同じで、つまんないだろうなあって思ってた」

僕は、さんまさんに聞いいた話を思い出す。

さんまさんが、まだ若手の頃。桂三枝(現・文枝)さんの番組で街なかからリポートする役目を仰せつかった。売り込むチャンスである。さんまさんは中継を盛り上げるだけ盛り上げた、スタジオからのリアクションも上々だ。成功だ。さんまさんはスタジオに戻ると、三枝さんお楽屋に顔をだした。当然褒めてくれると思っていた。ところが、三枝さんはジロリとさんまさんを睨むとこういった。

「さんま、番組は中継だけで出来てるんやないで」

さんまさんの頑張りも当然だが、三枝さんの言っていることも正論だ。さんまさんが枠を超えて自由に振る舞ったのとは逆で、大将はリポーターとしての枠にはめられれ、身動きできなかった。これは時代の差かももしれない。

とにかく司会はやめよう、と大将は思っていた。ところが、それを頼みに来る大将より10歳くらい年上のフジテレビの女性がいた。大将の出世番組『お昼のゴールデンショー』金曜日のディレクターだった常田久仁子さんだ。常田さんは、眠る時間を削って仕事を回しているコント55号が収録場所入りすると、「リハーサルなんかいいから寝なさい」と楽屋に入れて2人に睡眠を取らせるようなディレクターだった。

「稽古なんかさせるより眠らせたほうが2人は面白いのよ」とは常田さんの述懐である。その司会の依頼を最初は断った。諦めて引き下がった日に見えた常田さんだが、控えめに2度めのお願いに来た。大将はまた断った。すると常田さんは大将に向かってこういった。

「テレビ局の人間がこうやって、2回も頭下げに来てるのよ。それを断るとはどういう了見なの。たまには私の顔を立てなさい。やりなさい」

「ハイっ」

大将は、不得手な司会を引き受けていた。

欽ちゃん30歳、『オールスター家族対抗歌合戦』が始まった。この番組が大将の素人いじりの原点になった。ただし、大将は素人いじり、という言葉は決して使わないだろう。大将は、いじっているのではない。素人と対決しているのだ、だから、『オールスター家族対抗歌合戦』には作り方のルールがあった。

「打ち合わせはほとんどないんだ、僕と出演する家族を本番まで会わせない。ぶっつけ本番。そういう点じゃ、浅草の劇場のやり方と似ている。違うのは司会だから、頼りになる二郎さんがいない。二郎さんの代わりがね、つまり素人。」

「この素人、をね、二郎さんより面白くすることができる時があるんだよ」

「お前は聞いたことあるよね」

「はい、詩村さんに聞きました」

(インタビュー記事その④につづく)

 

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メディアゴン 編集部

メディアゴン編集部(めでぃあごんへんしゅうぶ)2014年5月末日、東京生まれ。メディア批評・メディア評論に特化したメディア専門家によるメディアニュースサイト。キー局プロデューサー、ディレクター、イベントプロデューサー、放送作家、大学教授、評論家、ゲーム作家、弁護士・・・などなど、メディアの第一線で活躍する人材が活動中。