消費税と共に停滞し続けた平成という時代 -植草一秀

政治経済

植草一秀[経済評論家]

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元号が変わるが時間空間が天皇制によって支配されることは戦後の日本民主化の精神にふさわしくはない。元号の改定をことさらに大きく報じることも適正でないと感じられる。辛うじて、歴史の時代区分上の便法として元号を用いることが好都合な場合があるというに過ぎない。

西暦との換算に伴う各種事務コストも無視できない。平成の30年間は日本が停滞を続けた期間に重なる。この30年は消費税導入の期間とも完全に重なる。消費税を導入した直後から日本経済の超停滞が始動したと言って過言でない。

消費税が導入されたのは1989年4月。1089年は「改元・消費税・参院選・内閣総辞職」の年だった。奇しくも2019年と重なる部分が多い。2019年も「改元・消費税・参院選」が重なる予定にある。

「内閣総辞職」まで重なれば、時代の転換にうまく符合することにもなる。日本のバブル崩壊が始動したのは1990年の年明けだ。1989年5月と10月にバブル崩壊の予兆があった。日銀が公定歩合引き上げに動いたのである。

しかし、株価は1989年の年末まで上昇を続け、1989年末が日経平均株価の史上最高値になった。日経平均株価の水準は38915円だった。このバブルピークから30年の時間が経過するが、現在の日経平均株価の水準は22000円である。30年の時間が経過して株価は半分強の水準なのだ。

「失われた10年」は「失われた20年」になり、「失われた30年」になった。
消費税が導入された1989年からの平成の30年間は、日本経済超停滞の時代だった。

「失われた10年」の表現は、拙著『日本の総決算』(講談社)で

「失われた90年代」

と帯に記したのが初出である。バブル崩壊もバブル崩壊不況も日本の経済政策失敗が大きな原因だった。政策失敗は国際政策協議という名の「経済外交」の分野で日本外交が対応能力を保持していなかったことによって発生した。

巨大バブルは日本の内的要因によって発生したものではない。米国の経済政策変化に日本は翻弄され、日本経済は未曽有の混乱に巻き込まれた。為政者が十分な洞察力、判断力、そして行動力を持たないと国民経済を守ることができないのだ。

私は『中央公論』1991年11月号に「バブル崩壊後日本経済のゆくえ」と題する論文を発表した。バブルの生成と崩壊のメカニズムを解き明かしたものだった。1981年に発足した米国のレーガン政権が新しい経済政策を実行した。

これが「レーガノミクス」だ。レーガノミクスにより米国金利上昇=ドル上昇が生じる一方、米国の財政赤字と経常収支赤字が急膨張した。米国で保護主義圧力が高まり、レーガン政権は人為的なドル切り下げ政策を発動した。

1985年9月のプラザ合意だ。急激な円高は日本の長期金利を急低下させて日本の資産価格を急騰させた。日本経済はバブル経済に沸き立つことになった。

このなかで、日本銀行は1987年に公定歩合を引き上げようとした。そのタイミングでMY株価急落=ブラックマンデーが発生し、米国は日銀の金利引き上げ中止を指令した。そのために日本の真正バブルが生成された。日本の資産価格上昇はジャパンマネーの席巻をもたらした。

これに対して米国の日本批判=ジャパンバッシングが激化した。そして、1989年に発足したブッシュ政権が日本弱体化を狙って「ストロングアメリカ=ストロングダラー」の路線を掲げた。円安進行とともに日本金利が上昇し、日本のバブル崩壊がもたらされた。

米国の経済政策によって天国に強制連行された日本経済は、同じ米国の戦術によって地獄に叩き落されたのだ。経済外交能力を持たない政府の下に置かれる国民は、政府の能力の欠如によって深刻な不幸を背負わされることになる。

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