橋田壽賀子先生は華麗なる大食漢であった

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高橋秀樹[放送作家]執筆記事

豪華客船『飛鳥』のクルーズに2泊3日だけタイアップで乗せてもらい、横浜から伊勢まで行ったことがある。『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家、橋田壽賀子先生(1925年・大正14年生まれ)も乗っていらっしゃった。クルーズを主催する松平さんによれば、橋田先生は常連で、世界一周クルーズにも参加なさったそうである。目的はリラックスと脚本執筆。
橋田先生の乗船時には船室に机と電気スタンドをいれ、橋田先生仕様の客室にするそうである。橋田先生には、若くてイケメンのテレビ局員がエスコート役として同行する。そのとき乗っていたテレビ局員は旧知の間柄だったので、「ごくろうさま」と声をかけると、同じ様に「ごくろうさま」と返してきた。だが、僕たちはトーク番組の収録で乗り込んだだけなのでそのテレビ局員のような苦労は特になかったのである。「ごくろうさま」の重みは橋田班に比べ、僕らは10分の1くらいなのである。
僕はデブの大喰らいだし、他のスタッフは若い男ばかりなので、朝起きると、1階の和食コーナーに行き、ブッフェ形式の朝食を腹いっぱい詰め込む。食べ終わるとコーヒーが飲みたくなるので、3階の洋食コーナーになだれ込む。コーヒーの隣にスイーツがあるので、いくら食べても同料金であることにつけ込んで、当然2つ食べる。長々と僕らの行動を書いたのにはわけがある。驚くべきことに橋田先生も、僕らと同じコースをたどっていることに気づいたからである。
橋田先生は健啖家(大食漢)なのである。だからあのお歳でも健筆なのだ。深く感心する。だから、どの役者も苦しめられる、あの長台詞が書けるのだ。
なぜ長台詞になるのか。橋田先生はこうおっしゃっています。
「私のドラマはお年寄りが見るでしょ。お年寄りはシーンが変わると、前のシーンのことは忘れてしまうのね。だから、次のシーンで、もう一度前のシーンのことを説明するの。真は怒ってたでしょ、その訳はねって。すると、どんどんせりふが長くなっちゃうのね」
ゆるぎない信念。深く尊敬する。
 
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飛鳥の船内は、セミフォーマルが決まりである。僕はこれをそろえるために伊勢丹で16万円も使ってしまった。橋田先生の流麗なドレスはいくらくらいするのだろう。俗物はそんなことを思いながら、自らの船酔いに気づくのであった。