マイケル・ムーアは「ゆきゆきて、神軍」をこれまでに見た最高の傑作ドキュメンタリーと言った。


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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つい先日(2014.11.18〜24)、モントリール国際ドキュメンタリー映画祭のレトロスペクティブに招待されて1週間滞在、帰国したばかりだ。

自慢話になって恐縮だが、70年代〜80年代の筆者による作品たちは、圧倒的に好評だった。

「ドキュメンタリーというジャンルの中に“原映画”というジャンルが確固としてあると言ってもいいくらい、実にユニークな作りである」

と、パリから来たというプログラマー氏がベタ褒めしてくれた。

1992年、「文化庁1年派遣芸術家在外研修員」としてニューヨークに滞在しているときに、マーチン・スコセッシ監督が「極私的エロス 恋歌1974」と「ゆきゆきて、神軍」を見て、

「誰もこんな映画を作ったことがなかった」

「誰もこんな映画をみたことがなかった」

と言ってくれたこともあった。

さらに言えば、マイケル・ムーア監督が、

「私がこれまでに見た最高のドキュメンタリーの傑作は『ゆきゆきて、神軍』である」

と発言。そのセリフが世界を駆け巡り、一躍知られることになった。まあ、当の本人(筆者こと原一男)は、ただただ無我夢中で、多くの先輩たちから学び吸収して自分なりの方法を構築してきたつもりだし、評価されて悪い気はしないよな、というくらいなもの。

話を戻そう。こんなふうに仕掛けていけばオモシロイ場面が撮れる、という自信みたいなものは抱いていたのだが、それはあくまでも“スーパーヒーローシリーズ”においてのこと。

ところが“生活者”相手には、通用しないのである。「大阪泉南アスベスト国家賠償訴訟」を足かけ7年、「水俣病の現在」を10年、と書いたが、その間、方法論を見つけあぐねて闇の中を彷徨してきたという実感なのだ。そして今なお一筋の光明すら見いだせないでいる。

この二つのプロジェクトの主人公(たち)は、言うまでもなく、“自分と自分の家族の幸せのために生きる人々”である“生活者”の人たちだ。

筆者が20代の頃、あれほど、自分は絶対にこんな生き方はしないぞ、と言い聞かせ、否定したはずの“生活者”たちを相手に今、ドキュメンタリーを作ろうとしている、これは何かの間違いではないか? と何度も思ったものだ。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。